74年には、猪木が馬場に対戦要望書を送って対決を迫り、80年代前半には、ブッチャーやハンセンの引き抜き合戦が起きるなど、両雄の間には常に火花が散った。
「ただ、2人が心底、憎み合っていたとは思えません。一度、岡山の全日本の会場に、たまたまプロモーションで来ていた猪木が訪れたことがある。開場前でしたが“馬場さん!”と言う猪木に、馬場も“おう、寛至”とうれしそうに話していた。ライバルであっても、2人で会えば、やっぱり兄と弟なんだなと思いましたね」(前出のベテラン記者)
時に手を取り合い、時に反目しながら、昭和プロレス黄金期を築いたBI砲。2人だけにしか分からない強い絆が、そこにはあったのかもしれない。