■“神主打法”で3度の三冠王に

 一方、80年代を牽引したのが“神主打法”で3度の三冠王に輝いた落合博満。ロッテ在籍時、投手から野手転向を機に、直々に薫陶を受けることになった愛甲氏は語る。「オチさんの打撃は、捕まえたボールは全部90度の中(フェアゾーン内)に入れるという考え方。外野ポールに向かってノックを打つ、という練習を俺も一緒にやったね。普通ならスライスしたりフックしたりする打球が、あの人の場合はラインと並行に真っ直ぐ飛ぶ。実際の試合でもギリギリ切れてファール、みたいな打球は、ほとんど記憶にないでしょ?」

 氏いわく、落合がモットーとしたのは「野球の体は野球で作る」。春季キャンプでも、第1クールはひたすらノックを受けて下半身を作り込み、バットを握ることさえなかったという。「とにかくムダな練習はしない人。打撃練習では最初に内野の各ポジションにゴロを打つのがお決まりだったけど、その球も野手が微動だにしなくても取れるほど正確でね。要はどれだけ角度をつければ、塁間を抜けるかの確認作業をするわけです。それを俺なんかじゃ、到底、扱えないほど長いバットで自由自在にやってのけるんだから、ちょっと次元が違うよね」(前同)

 そして、80年代の半ば、歴代最多3度もの三冠王に輝く落合にさえ一目を置かれた“怪物”が出現する。それが清原和博だ。「1年目のキヨは、稀代の天才を間近で見てきた俺でさえ“超えるかも”と思えるほどスゴかったよ。その後は努力の仕方を少し間違えた節もあるけど、当のオチさんが酔っぱらって、“あいつはどんな選手になるんだろうな”って言っているのも、直接聞いたことがあったからね」(愛甲氏)

 他方、西武でコーチとして清原と接した伊原氏は、落合との違いをこう言う。「ものおじしない精神力の強さもあったし、順応性や適応力もズバ抜けたものを持っていた。ただ、落合にあったような“がめつさ”が、彼にはなかった。勝負ごとである以前に、お金を稼ぐのがプロ。その意識がもっとあれば、タイトルにも手は届いたはずですよ」

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