■後楽園球場最後の本塁打
「そういう意味でも、この手の話題で吉村禎章の名前があまり出てこないのが俺は不満だね。彼は1学年下だけど、数少ない本当の天才。投手だったプロ2年目にファームで彼と対戦したことがあるけど、決めにいった外のスライダーを、モノの見事にレフト線に運ばれてね。“なんだ、こいつは!”と思ったから」(前同)
吉村と言えば、87年の広島戦で起きた珍記録、2ストライク4ボールからの本塁打が、よく知られる。後楽園球場最後の本塁打としても記憶に残る一発だ。「あれは本人も実は分かっていたって話だし、おそらく“打てる”って確信があったから黙っていたんだと思うよ。当時のベンチで、そのことに唯一で気づいていたのが、同じく“天才”と呼ばれた篠塚(和典)さんだけだったというのも、面白いよね」(同)
では最後に、現在進行形で活躍する現役選手では、どうか。多くの天才を現場で見てきた伊原氏が言う。「柳田悠岐は、ひと頃の“V字スイング”(ダウンスイングからのアッパースイング)から、もう一段階上がってきた感がありますし、今年で言ったら、なんといっても吉田正尚。東洋大の前監督(高橋昭雄氏)が同級生だった関係で学生時代から注目していましたが、当時も“あれは(モノが)違うぞ”と言われていてね。彼の打撃を見ていると、西鉄時代からの同僚だった天才の一人、大田卓司を思い出しますね」
伊原氏の2学年下だった大田もまた、“天才”と評された小兵のスラッガー。だが、プロではたび重なる故障に泣き、実働18年で通算171本塁打に終わった未完の大器でもあった。「私らが寮で何百も素振りをしている横で、彼は10か20をブンブンとやって戻っていく。それでいて試合では誰より遠くに飛ばしてましたから、モノは違いましたよね。でも、肩だの腰だのと痛めてね。吉田のスイングも、腰には相当負担があるはず。ケガにだけは気をつけてほしいです」
ケガに負けない強靭な肉体と精神力もまた、天才打者の不可欠な要素なのかもしれない。