■ストライクは全部ホームラン
同じことは、松井秀喜氏にも言える。
「松井は、打撃好調だった巨人時代の2001年に、〈理想だけど、ストライクは全部ホームランにしたい〉と話しています。彼は努力の人。天才肌ではなく、どちらかというと不器用でしたが、努力で大成したんです」(前出のデスク)
広島の主力打者として活躍した“孤高の天才”前田智徳氏にも、ファンの心をえぐった名言がある。
「95年のヤクルト戦で、走塁の際に右アキレスを断裂した前田は、その日〈いっそもう片方の足も切れてほしい〉と語ったんです。そうすれば、左右のバランスが取れると考えたんでしょう。あの落合さんをして、“前田のバッティングは無駄がない究極の形”と言わしめた天才でしたが、ケガに泣いた選手でした」(前同)
完璧を求めるあまり鬼気迫る名言を残した前田のような選手がいる一方、野球解説者の江本孟紀氏のように、現役時代の“問題発言”が語り継がれる選手もいる。81年8月26日、甲子園球場で行われた阪神対ヤクルト戦。阪神の先発だった江本氏は8回に3点を取られて降板したが、当人はもっと早く交代させてほしかったという。遅きに失した投手交代に、ロッカーに引き揚げた江本氏は、こう吐き捨てた。
〈ベンチがアホやから〉
当人は、事の真相を、こう明かしてくれた。
「当時の甲子園球場はロッカールームが2階にあったから、ベンチからだと、かなり距離があってね。今と違って、降板した投手は荷物を持って引き揚げるのが当たり前だったから、ロッカーに戻りながら、誰に言うでもなく“バカ”とか“アホ”とか、雑言を吐いたものです。みんな、そうでしたよ(笑)」(江本氏)
とはいえ、当時は「ベンチ=采配」を「アホ」とこき下ろし、監督批判のタブーを犯したと問題視された。
「世間には、まるで私が監督の中西(太)さんに向かって言ったかのように伝わってしまいましたけど、特定の誰かに言ったわけではない。まあ実際、“アホや”と思いましたし、監督との関係もギクシャクしていましたけどね(笑)」(前同)
このひと言がもとで、江本氏は球団から10日間の謹慎を言い渡され、引退を決意する。
「翌年から別の球団でやるにしても35歳。プライドもあったしね。自分から引退を申し出たんです」(同)
江本氏の暴言は、生き馬の目を抜く球界に生きる男ゆえ、口をついたのだろう。
最後は、大日本東京野球クラブ(後の巨人軍)の契約第1号選手である三原脩氏の言葉で締めたい。
〈アマは和して勝ち、プロは勝って和す〉
非情な勝負の世界に生きる者の口から飛び出した言葉には、どれも万感の思いが詰まっている――。