■石風呂でサウナ、アロマテラピーも

 では、ここで大河ドラマの主人公、明智光秀の健康術も紹介しよう。

「吉田兼見という当時の人物が書いた『兼見卿記』によると、自軍が窮地に陥った際も、知人宅の石風呂に通っていたとか」(前出の学芸員)

 その石風呂について、植田氏は、こう解説する。

「石風呂は現代でいう、サウナ。神経痛やリウマチ、ぜんそくなどにも効果があり、傷ついた武将の体を慰めました」

 同じような効果は温泉にも。現在も“信玄の隠し湯”が残っているが、武田信玄は温泉で心身を癒やした。その信玄がもう一つ、心身を癒やすために実践していた健康術があるという。

「信玄が当時のトイレである閑所で用を足しながら、1時間もの間、物思いにふけっていたという話があります」(前同)

 その際、消臭に使っていたのが沈香という香木。信玄の閑所には、風呂まであったというから、いわばユニットバスのようなものだ。

「沈香は強壮、鎮静、解毒、健胃効果があります。信玄は、アロマテラピー効果で心身のバランスを保っていたんでしょうね」(同)

 74歳という、当時でいえば、かなりの長寿だった毛利元就は、息子の幼少期によく雪合戦をさせた。元就自身も、高齢になってからも屋敷に雪を持ってこさせてまで、楽しんだという。

「雪を丸める動作は、手指などへのほどよい刺激となり、頭を活性化させます。また、肩を大きく回して投げる行為が、ふだん、なかなか使わない筋肉を鍛えてくれるんです」(植田氏)

 戦国の黎明期、相模国を統一した北条早雲の長寿の秘訣は、早寝早起き。

「北条家の家訓『早雲寺殿二十一箇条』で“午前4時起床・午後8時就寝”を家臣にも推奨していました。同じく健康的な生活を送ったのは、伊達政宗。“脈診”という伝統的な診断法に基づき、毎日決まった時間に自分で脈拍を測っていたとか」(前出の歴史小説家)

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