だがむしろ、アイドルだったゆう子は鮮やかに記憶している。1974年のデビュー時のキャッチフレーズは「ジャンプするカモシカ」。同年には『恋はダン・ダン』で第16回日本レコード大賞新人賞も受賞しているのだ。76年にヒットした『セクシー・バス・ストップ』の作曲はJack Diamondこと故筒見京平。元はディスコチューンのインストに詞をつけた、70年代の傑作のひとつだ。

 当時の女性アイドルは小柄が主流だったが、ゆう子は167cmの長身でスラリとし、ミニスカートやホットパンツから覗く長い足も、眩しいほどに小麦色。神戸出身のせいか、どことなく垢抜けしており、ボーイッシュなショートカットがチャーミングだった。しかし、この「日本人離れしたプロポーション」というヤツが仇となって、その後は今ひとつ伸び悩んだ。

 一方、ルックスが大人びていたせいで、中学生ながら、『太陽にほえろ!』(日本テレビ系)の2代目お茶汲み役にも起用された。七曲署の捜査第一係には歴代のお茶汲みがいたのだ。3代目のアッコこと木村理恵はその後、女優として大成する。

 ゆう子の初登場はデビュー年の74年の9月。ちょうど3代目新人刑事テキサス(勝野洋)が登場してまもなくの頃。ところが、「14歳の女の子が働いている、それも警察に出勤とはおかしい」といった内容の投書があり、わずか3ヶ月で降板したとか。つくづくついていない。

 もっとも、持ち前のプロポーションが低迷期には武器となった。男性誌からのグラビアの引き合いは多く、カネボウ化粧品などでの水着ポスターは艶かしく、元祖グラドルの一人でもあろう。そうこうするうち、先述のドラマが大当たりし、女優トップの座に駆け上がった。

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