■カネやんの“顔面キック”事件

 一方、愛甲氏が所属した時代のロッテといえば、“カネやん”金田正一監督の独壇場。氏いわく「ベンチから“顔ぶつけぇ!”と叫ぶのは日常茶飯事。(ロッテの高卒新人投手だった)前田幸長を、それで萎縮させていた」というから、何をか言わんや、である。

 そんなカネやんの“ご乱行”で、とりわけ有名なのが、91年5月19日の秋田・八橋球場での近鉄戦。ジム・トレーバーに対する“顔面キック”事件だろう。

「ベンチ前の蹴りの場面はテレビでもよく流れるけど、直接の原因はその前段。当てた園川(一美)を追いかけて外野でゴチャゴチャしていたときに、監督がドサクサついでにヤツの顔面を踏んだんだよ。正気に戻ったら自分が思いきりスパイクの形に流血してるんだから、そりゃ怒るって(笑)」

 もともと愛甲氏とトレーバーは、一塁の塁上で気さくに言葉を交わす間柄。実際の彼は、けっして“瞬間湯沸かし器”のようなタイプではなかったという。

「さっきも言ったけど、道具を使わないのが不文律。スパイクは凶器でもあるから、足蹴にするのも本来は絶対に御法度なんだよ。それなのに、金田さんはとにかくすぐに足が出る。前年に西武球場で審判(高木敏昭氏)を暴行して退場になったときもそうだし。まぁ、トレーバーには災難だけど、俺らにすれば“またかよ”ってなもんだったね」

 トレーバーの事件を含め、派手な乱闘エピソードには事欠かないのが往時のパ・リーグ。助っ人勢にも、血の気の多い選手が多数いた。

「セ・リーグのクロマティ対宮下と双璧をなすのが、86年6月13日、西武球場で起きた東尾修と近鉄のリチャード・デービスの応酬です。東尾といえば、右打者の胸元をえぐるシュートで上体を起こして、外のスライダーで料理する“ケンカ投法”が代名詞。必然的に死球も多かったし、明らかに当てにいった球もありました」(在阪スポーツ紙元記者)

 デービスへの死球は、いわば定石通りの内角シュート。だが、この助っ人がキレた背景にも伏線はあった。

「本塁打を打った下位打線の鈴木貴久が次の打席で、頭部付近に際どい球を受けたんです。仲間思いのデービスは、それを故意と受け取って報復の機会を待っていた。でもね、ボコボコにされながらも投げ続け、完投した東尾の執念と根性も、さすがですよ」(前同)

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