■屈強な外国人投手に日本人打者が突撃!
また、屈強な外国人投手に日本人打者が突撃したレアケースとしては、96年5月1日のナゴヤ球場、バルビーノ・ガルベスと山崎武司の一戦も忘れがたい。当時、中日の一員でもあった愛甲氏は、こう明かす。
「あの試合は、前の回に小島(弘務)がオチさん(落合博満)に当てていてね。向こうの長嶋(茂雄監督)さんもあれで“やられたらやり返す”の人だから、“先頭打者の初球でいけ”となったわけ。ただ、イケイケの山崎もさすがに相手が悪かった。結果的には左フックをまともに食らって、口の中を4針も縫ってたよ」
両者退場で決着がついた、この一件。相手が宿敵の巨人とあって星野仙一監督の気迫も尋常ではなかった。
「俺は元木(大介)と一緒に“中に入るの、やめとこうぜ”って傍観してたんだけど、混乱の中で飛ばされた長嶋さんの帽子を、コーチの上川(誠二)さんが、なんの気なしに拾おうとしたら、背後にいた星野さんが“拾うな!”って一喝してさ。この人は本気なんだと、改めて思ったよね。俺も巨人に移籍した直後のオチさんと塁上で話してて、ベンチから怒鳴られたしね。“何を仲ようしゃべっとんじゃ!”って(笑)」(前同)
実は、この乱闘劇にはガチンコな“続き”がある。これも愛甲氏の目撃談。
「あの試合、俺は山崎の代わりに出て本塁打を打ってるんだけど、試合中にちょっとベンチ裏に下がったら、島野(育夫)さんが“もう1回あるぞ!”とか言いながら、鉄板を当てた拳をテーピングでグルグル巻きにしててね。要は、監督の星野さんを、これ以上行かせないように、自分が盾になる準備をしてたんだよ。あの頃の中日は、そんなのがけっこう日常。俺が2軍にいた2000年なんて、“よう当てんやつは、いらん”っていう理由で、中継ぎがまとめて落とされてきたこともあったからね(笑)」
熱き男たちのあふれ出る闘志。あの時代、スタジアムに充満していた熱気は、そこから生まれていたのかもしれない。