■日本を脱出して愛を貫いた!

 1967年。元子は母の監視から逃れるべく日本を脱出する。まずはロサンゼルス、その後はハワイを拠点に馬場との遠距離恋愛をスタートさせた。元子はエアメールを綴った。

〈正平大好き(中略)正平さん。どんなに強がり云っていても淋しいの。どうしてこんなにたくさん涙があるのか不思議です〉

 馬場もまた、ダイレクトに愛情を便せんに込めた。

〈日本に居て逢えなくともそんなに淋しくないですがやはりハワイだと淋しくてたまりません。早く帰ってきてください。(中略)大好 大好 大好 大好 大好 大好 大好 大好 ∞〉

 今回、拙著『誰も知らなかったジャイアント馬場』の執筆にあたりこの無限大マークと遭遇したわけだが、「馬場さんにもこういう一面があったんだ」とついつい顔がほころんだ。純粋で、まっすぐで、飾り気のない、どこにでもありそうな恋愛の1ページ。小学5年の頃から突如として身長が伸び始め、平凡とは言い難い毎日を生きることになった馬場にとって、元子との恋愛はようやく手にした、決して手放したくない「平凡」だったのではないだろうか。

 シリーズオフには馬場がハワイに飛び、ふたりは実質的な結婚生活を謳歌した。しかし、馬場はあくまでも皆に祝福される形でのゴールを目指し、1968年あたりからたびたび日本での結婚式、および披露宴開催に向けて動いた。中でも「1971年10月」に馬場はこだわった。9月3日投函の元子への手紙にはこうある。

〈10月、11月のスケジュールを見るとあいている日も東京に居る日も10月2日以外にないのです。やはり猪木より早くした方が良いのではないかと。(中略)一応9月22日発表して10月の2日の1時から式をやれば一番良いと思います。このさい思いきってやりたいと思います〉

 この年の3月、アントニオ猪木はUNヘビー級王座を奪取すると、その直後に女優・倍賞美津子との婚約を発表。5月には馬場が保持するインターナショナル王座への挑戦を表明するなど、当時28歳の「若獅子」と呼ばれた男は、派手な行動の数々によって世間の関心をかっさらっていった。

 一方、馬場は33歳。レスラーとしてのピークは過ぎたとの声も挙がるなか、日本マット界のエースたるもの、いまだ独身なのはいかがなものか。そんな空気が世間に醸成されていく。

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