桐原さんが語りはじめたADHDにまつわる幼少期からの生きづらさは、まるでわたしの内にある息苦しさそのものだったからです。持っていた檸檬堂の缶は机に置き、画面に釘付けになりました。さらに、画面の脇にはリスナーさんからの共感コメントが流れます。

 あの夜のclubhouseで、漠然とした不安にとりこまれたわたしの軸を定位置に戻してくれた彼女は、今度は、ここにあなたと似た人がいる社会があるよと気づかせてくれました。

 トークはとてもにこやかで、時に涙がこぼれるときですら半分は笑顔を保つような表情と声色にわたしはつられて泣きつづけてしまいました。似たような状況をよく知っていたからです。

 わたしが自分の体験談を(それはぼ悲しかったことですが)を話すときに笑ってしまうくせは、まともに悲しかった気持ちを自覚したら、“くらいすぎてしまう”からです。それでもどうにか伝えたい、その手段としてむりやりちょっと明るさを保つ。

 これはわたし個人的な思いですが、そうしてむりやり保った明るさを元来のものだと思われたり、乗り越えた結果なんだね、などと解釈されるとそれはそれでもうちょっと無理していることに気付いてよ……なんて思ったりします。(これはほんとうに個人的な思いなので、今回の配信も同じはずなのだ! とは思っていません!)

https://www.youtube.com/watch?v=nsZmd0XgciM

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