■“球界の常識”を根底から覆した怪物

 では、投手ではどうか。真っ先に名前が挙がるのはやはり、「高卒=育てるもの」という“球界の常識”を根底から覆した1999年の西武・松坂大輔だ。

「ルーキーイヤーに、松坂は16勝を挙げて最多勝のタイトルを獲っていますが、これは高卒新人では45年ぶり。新人王の受賞も、巨人・堀内恒夫以来33年ぶりの快挙でした。また、1年目でのベストナイン選出、デビューから3年連続での最多勝獲得も、それぞれ高卒新人では史上初。残した結果のうえでも、前評判に違わぬ“怪物”ぶりを披露しました」(スポーツ紙記者)

 他方、松坂がパを席巻した99年のセ・リーグでは、無名の存在から“目玉”へと急成長を遂げた巨人・上原浩治も、圧巻のデビューを飾っている。その座右の銘である「雑草魂」は、松坂の「リベンジ」とともに、新語・流行語大賞にも選ばれた。

「上原との初対戦は、まず真っすぐの質に驚いたよ。端的に言うと、並の投手とは手元が違う。こっちは捉えたと思って振りに行っても、なぜか空振りしてたよね。フォークなんかは、そこまで大したことなかったけど、あの真っすぐはすごかったよ」(愛甲氏)

 この年の上原は、先の松坂と同様の“堀内超え”となる、シーズン15連勝を含む平成年間の新人では唯一となる20勝に到達した。最終的には、新人史上3人目となる投手四冠(最多勝、最優秀防御率、最高勝率、最多奪三振)に加え、新人王&沢村賞の同時受賞まで果たしている。

「10月5日の対ヤクルト戦。松井と本塁打王を争うペタジーニへの敬遠指示に、悔し涙を流した彼の姿はいまだに忘れ難い。消化試合でしたが、自身の20勝とタイトルも懸かる落とせない一戦。そんな局面でも、あくまで真っ向勝負にこだわった、あの負けん気の強さは並大抵ではないですよ」(専門誌記者)

 上原と松坂。同じ年にセ・パに現れた2人のルーキーを、当時、現役の打者たちは、どう見ていたのか。

「あの頃、俺は中日にいたから直接の対決はなかったけど、“松坂のあのスライダーは打てない”って声は、周りからもよく聞いた。上原も当然すごいんだけど、なんせ大輔は高卒。それがいきなり投手陣の真ん中に陣取ったんだから、やっぱり別格だよ」(愛甲氏)

 確かに松坂以降、速球派の高卒投手は次々と出現したが、彼に比肩する活躍を見せたのは、2007年に11 勝をマークした田中将大ぐらいだろう。愛甲氏の「ボールを、あそこまで扱いこなせていたのは松坂だけ」という指摘は、ファンの実感からいっても得心がいくところだ。

 そんな愛甲氏が全盛期を迎えていた1990年では、“トルネード投法”の野茂英雄も忘れられない一人だ。制度変更によるパ・リーグ初の沢村賞、新人賞に加え、MVPまで獲得した新人投手は、今もなお野茂が唯一の存在だ。

「まず、あのフォームにビックリしたし、どこに合わせていいのか、最初は戸惑いのほうが大きかった。もともと制球はよくないから、ヘタにコースを絞れないってのも厄介でね。2年目以降は球速もさらに上がったし、決め球のフォークも意図して角度を変えて落としてきた。本塁打もフォークのすっぽ抜けを打った1年目の1本が、最初で最後だったね」(愛甲氏)

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