■球史に残る名手の圧倒的な新人時代
では、もっと昔の投手たちの実力ははたして、いかほどか。現代の感覚からすると、にわかには信じ難い数字を残しているのが、中日時代の権藤博だ。
「61年の権藤さんは、69試合中、44試合に先発して、32完投12完封。35勝をマークして、防御率も1.70ですから、長く野球を観てきた我々にも、ちょっと理解が追いつきません(笑)。勝利数や完投数はもちろん、投球回429.1回、310奪三振なども新人最高記録。『雨、雨、権藤、雨、権藤』のフレーズが流行語になったぐらいですから、当時の中日はまさに権藤に“おんぶに抱っこ”の状態だったんでしょう」(元スポーツ紙中日担当記者)
翌年も30勝を挙げて2年連続の最多勝にも輝いた権藤だが、登板過多と間違ったケアによって肩を故障。その球威は二度と戻ることなく、野手転向をも余儀なくされた。
「そういう意味でも、400勝投手、金田さんが見せた国鉄時代のタフネスぶりは際立ちますよね。シーズン途中の入団だった50年シーズンこそ8勝止まりでしたが、翌年以降、巨人に移籍する64年までは14年連続で20勝以上。投球回も毎年300回をゆうに超えていますから、どれだけ突出した存在だったかが、うかがえます」(球団関係者)
ところで、今や一般的となった“怪物”の称号は、作新学院時代に高校球界を席巻した江川卓を、大きな耳が特徴的なキャラクター『怪物くん』になぞらえて呼んだのが、その始まりと言われている。指名拒否や、かの“空白の一日”を経たプロ1年目の79年を9勝で終えた江川に対しては、「高校から、すんなりプロ入りしていれば……」と惜しむ声も少なくない。
「現役晩年に一度だけ当たったオープン戦でも、あのゆったりしたフォームから、なんで、こんな球が来るんだって思ったぐらい、抜群の真っすぐを投げていた。それだけに、プロ入りがもっと早ければ、大輔以上の、とんでもない成績を残した可能性も大いにあるとは思うよね。法大でバッテリーを組んだ袴田(英利)さんも“試合でも本気で投げることは少なかった”って言ってたし、本当の怪物っていうのは、江川さんみたいな選手のことを言うんじゃないかな」(愛甲氏)
球史に名を刻む名手たちの圧倒的な新人時代――。
佐藤をはじめとした話題のルーキーたちはどんな伝説を残すのか。今季も新人たちの活躍から目が離せない。