■番組史上最大の事件

 高い人気を得た『笑点』だが、開始3年で番組史上最大の事件が発生する。

「ワンマンな談志に反発した大喜利メンバー全員が降板してしまったんです。69年春から出演者を一新しますが、談志自身も衆院選出馬(落選)を理由に、すぐに番組を去ることになります」(前出の関係者)

 穴を埋めるべく新司会者に起用されたのが、人気タレントの前田武彦だ。

「その前後は大喜利メンバーの入れ替えが激しい期間で、柳家かゑる(のちの鈴々舎馬風)や三遊亭歌奴(のちの円歌)ら、その後に落語協会の会長を務めるような大御所もレギュラー出演していました」(前同)

 結局、前武司会期に、円楽、歌丸、小円遊が復帰し、三遊亭円窓、林家木久蔵(現・木久扇)が加入。70年末、三波伸介(先代)が3代目司会者となり、やがて、こん平も復帰し、番組は安定していく。

「三波さんは、前武さんの代打で司会を務めたことがあり、それが好評だったことからの起用でした。一座の座長のような立ち位置でメンバーをまとめた、三波さんの貢献は大きかった」(前出のライター)

 最高視聴率を記録したのも、三波司会の時代だ。

「73年10月21日放送分は、なんと40.5%(ニールセン調べ)で、昨年末の『紅白歌合戦』(40.3%=ビデオリサーチ調べ)より高い」(前同)

 しかし、三波は82年に52歳で急逝。「落語に専念」を理由に77年に降板していた円楽が、6年ぶりに新司会者として復帰した。

「以後、多少の入れ替えを経て、88年に歌丸、こん平、木久蔵、三遊亭楽太郎(現・6代目円楽)、三遊亭小遊三三遊亭好楽という黄金メンバーがそろう。以後、04年に病欠のこん平に代わり、弟子の林家たい平が登場するまでの16年間は、メンバーが不動でした」(放送作家)

 しかし、円楽も体調を崩し、06年の番組40周年特番を最後に降板。歌丸が司会に昇格した。

「歌丸は最後のオリジナルメンバー。長屋のご隠居風の存在感が人気を呼びました」(前同)

 司会を10年務めた歌丸は、番組50周年を迎えた16年に勇退。「終身名誉司会」の称号を得る。18 年に他界した後は「永世名誉司会」となった。

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