■日本人メジャーリーガーのパイオニアにしびれた

 長嶋、王と野手が続いたが、3位に入ったのは投手の野茂英雄。重い扉をこじ開け、メジャー入りするまでには紆余曲折があった。

「当時はメジャー挑戦をずいぶん叩かれたが、自分の意志を貫く姿にしびれた」(牛乳配達員=46)

 ヤクルト、中日で活躍した野球評論家の川崎憲次郎氏も「日本人メジャーリーガーのパイオニアです。歴史を変えましたね」と、野茂の功績を称える。

「ドジャースに入団すると、最多奪三振と新人王を獲得。その後、12年にわたってメジャーで活躍。ノーヒットノーランも2度達成しています」(メジャー担当記者)

 同じく日米で、打者として大きな足跡を残した“ゴジラ”松井秀喜が4位に入った。ドラフトで4球団が競合した超高校級スラッガーを見事に引き当てたのが、当時の長嶋茂雄巨人軍監督。こうして、二人の運命的な師弟関係が誕生した。

「巨人時代の3度の本塁打王と、ヤンキースでワールドシリーズMVP。長嶋さんと2人でつかんだ栄冠だと思う」(49=アルバイト)

 打者・松井のすごさについて、対戦経験のある前出の川崎氏はこう証言する。

「好調時は打席で構えたときにビタッと止まる。“どこからでも来なさい”という怖さを感じたものです」

 5位は、“史上最高の右打者”落合博満。バット一本で4球団を渡り歩き、歴代タイとなる3度の三冠王を達成している。

「完璧なコースに投げても、落合さんの読みが当たったときは簡単に弾き返される。投球の軌道にバットを入れるのが抜群にうまく、自分の型にはめてくるバッターでした」(川崎氏)

 98年の引退後、解説者を経て2003年から中日監督に就任すると、8年間で4度のリーグ優勝、すべてAクラス入りを成し遂げる。

「日本シリーズで完全試合目前だった山井大介を、岩瀬仁紀に代えたシーンは衝撃だった」(鮮魚店勤務=51)

 世間に迎合することなく、勝利に徹する“オレ流采配”。ブレない指揮官の姿は今、再評価されている。

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