■セ・リーグは“こんなもんか”

 パの選手にとって、球宴は単なる“宴”ではないプロとしての見せ場。その背景には、プロとしての矜持があった。江本氏も、「明らかにパ・リーグのほうが実力は上だった」と語る。

「なにしろ、(阪神に移籍した)私が通用したわけだから(笑)。少し球速を落として、四隅を突くコントロールを意識してやれば、軽く抑えられた。強打者ぞろいの豪快なパ・リーグ野球に慣れていた自分からすると、正直“こんなもんか”とは感じたね」

 ちなみに、阪神の人気に火がついたのは、社会現象ともなった85年の日本一以降。江本氏が在籍した当時は、人気の面でも巨人の後塵を拝するローカル球団でしかなかったという。

「甲子園でもふだんはガラガラ。巨人戦以外はアルプスを閉めて客を入れないこともあったからね。“珍プレー”なんかじゃ、ロッテ時代の川崎球場がよく流れたけど、大洋対広島戦あたりも、そんなに変わらなかったと思うよ」(前同)

 その一方、江本氏と入れ替わるように、81年にプロ入りした元ロッテの愛甲猛氏は、こう語る。

「入った頃は、(パ・リーグの)あまりの不人気ぶりにあぜんとさせられた(笑)。“入ってしまえば同じ野球だ”みたいなセリフは、よく常套句として使われるけど、当時は全然そんなこともなくて。ガラガラの球場を目の当たりにしたときは、ぶっちゃけ“ウチの高校(横浜高)のほうが、もっと客は入るんじゃないか”って、真剣に思ったぐらい」

 80年当時の愛甲氏は、全国制覇を成し遂げた甲子園の大スター。ロッテからの1位指名を受けたドラフト当日には、露骨に顔をしかめる学ラン姿の氏の様子が大きく報じられている。

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