■中日ドラゴンズを激震!

 一方、落合移籍から遡ること2年。中日を激震させたのが、生え抜きスター・田尾安志を西武へと放出したトレードだ。当事者の田尾は、こう語る。

「当時の私は選手会長で、事あるごとに選手側の要望を“お願い”という形で伝えていた。球団代表だった鈴木恕夫さんには、それが生意気に映ったんでしょう。それまで3年連続で最多安打と結果も残していましたが、選手食堂にある日、呼ばれて“決まりました”と、ただ、ひと言。監督の山内一弘さんは人事に無頓着な方ですし、加藤オーナーは、野球の素人。内心では、もちろん“やられた”と頭にも来ましたよ」

 田尾が移籍した西武は、広岡達朗から、長期政権となる森祇晶へと監督も代わり、黄金期へと向かう最中。しかし2年後、今度は自ら移籍を志願。吉竹春樹・前田耕司との2対1で阪神に移ることになる。

「成績こそ芳しくなかったですが、広岡さんの厳しい野球を経験できて、85年は最も勉強になったシーズンでもありました。ただ、次の森さんのやり方は正直、私に合わなかった。それで、編成部長の根本陸夫さんに頼んで、出してもらうことにしたんです」(前同)

 当時の森監督は、手腕を高く評価される一方、選手の好き嫌いを露骨に出すことでも知られていた。そうした森の性格は、93年に成立した“根本マジックの大型トレード”、西武の秋山幸二・渡辺智男・内山智之と、ダイエーの佐々木誠・村田勝喜・橋本武広による3対3のトレードの遠因ともなっている。

「その頃の秋山は、清原に甘く、自分に厳しい森監督のやり方を苦々しく思っていた。加えて、一番のお気に入りは、熊本出身の秋山の同郷で、同学年である伊東勤。1億円プレーヤーになったのも伊東が先でしたし、よほど腹に据えかねるものがあったんでしょう。その関係性をうまく利用したのが、ダイエーのフロントに入った“球界の寝業師・根本”だったというわけです」(前出の事情通)

 99年に根本は他界するが、彼が球界を去った後も“世紀のトレード”に関与していたと言えば驚くだろうか。

 それはダイエーが日本一に輝いた2003年。優勝パレードの翌日に発表された、チームリーダー・小久保裕紀の“巨人への無償トレード”だ。

「看板選手が無償で移籍なんて、何か裏がなければ起ここりえない。そこには契約の際、統一契約書とは別に根本さんが作った、いわゆる“サイドペーパー”の存在があったとされています。これは入団後5年で移籍の自由を認めるというもの。井口資仁や和田毅らが渡米できたのも、これのおかげ。のちに小久保本人も自著で“自分から希望した”と明かしていますから、おそらく、その“密約”をタテに、一度は袂を分かつ決心をしたということでは」(前同)

 FA制度の導入以降、めっきり少なくなった“世紀のトレード”。今季も期限まで、動向を注視したい。(文中一部=敬称略)

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