■日本中が熱狂した伝説のプロレスラー

 戦後日本の人々を元気にした伝説のプロレスラー・力道山(享年39)。彼の必殺技は、代名詞とも言える“空手チョップ”だ。プロレス解説者の柴田惣一氏が解説する。

「怒りの形相で放つ“空手チョップ”で、巨漢の外国人レスラーをなぎ倒す姿が、敗戦でショックを受けた多くの日本人を勇気づけ、瞬く間に国民的ヒーローになっていきました。街頭テレビの前は、黒山の人だかり。テレビのあるそば屋は、プロレスの放送時間は、通常100円のそばを500円にしても、客があふれたといいますからね」

 シャープ兄弟、ジェス・オルテガ、ルー・テーズ、フレッド・ブラッシーなど、日本マット界に上陸した強敵たちとの戦いは、空手チョップなしには語れない。

「空手チョップは、元関脇の力道山が相撲の張り手を応用してできたといわれています。より強力な技にするため、ハンマーで叩いて手の甲や指を鍛え、肉が割れて血が吹き出しても叩き続けたという逸話があります」(プロレス誌記者)

 そんな力道山の弟子だったジャイアント馬場(享年61)やアントニオ猪木(78)も、数多くの名勝負で必殺技を繰り出した。

「馬場さんは、やはり“16文キック”でしょう。2メートルを超える長身の馬場さんが足を上げると、強靭な下半身から繰り出される体重の乗った重いキックが、相手の顔面に軽々と届きました」(前出の柴田氏)

 巨人の投手だった馬場の足腰は、力道山に課せられたという一日3000回のスクワットで、さらに鍛え抜かれていたという。

「16文キックが素晴らしいのは、全盛期はもちろん、第一線から退いた後も使い続けることができたこと。3000試合連続出場の記録を打ち立て、“無事之名馬”と称せられた馬場さんを象徴する技でもありましたね」(前同)

 対する猪木の必殺技で、多くのドラマを見せてくれたのは“卍固め”だろう。

 伝説となったのは、“永遠の名勝負”といわれる1975年12月11日、蔵前国技館で行われたビル・ロビンソンとのNWF世界ヘビー級選手権、3本勝負の2本目を取った卍固めだ。

「両者の華麗なテクニック合戦は、見る者をまったく飽きさせない。60分3本勝負の1本目を40分過ぎに取られて、後がなくなった猪木が、残り2分でロビンソンの水平打ちをハラリとかわし、切り札の卍固めを決めた。その瞬間、焦らされ続けた観客は総立ちに! 中継のカメラがグラグラ揺れるほどの大興奮となりました」(スポーツ紙記者)

 柴田氏は、猪木卍固めを初披露した69年5月16日の第11回ワールド・リーグ戦決勝、クリス・マルコフ戦が忘れられないという。

「当時、“馬場を追う男”であった猪木さんが、公募で名前の決まった卍固めを決め、ついに念願のWリーグ初優勝を遂げて、馬場さんを超えた。これが、2年後の馬場さんへの挑戦表明へとつながっていきました。そういう意味で、あの卍固めこそ、その後、多くのドラマを生み出した2人のライバル関係の原点と言えるのでは」

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4
  5. 5