■グレイシーの腕を折った剛力

 柔道でも、“平成の三四郎”と呼ばれた古賀稔彦さん(享年53)や、谷亮子(45)らの“背負い投げ”は、吉田秀彦や井上康生が得意とした“内股”とともに、数々の名シーンを生んできた。

 だが、「木村の前に木村なく、木村の後に木村なし」と称えられた、史上最強の柔道家、木村政彦(享年75)の“大外刈り”と、キムラロックと呼ばれた“腕緘が らみ”こそ、必殺技と呼ぶにふさわしいのではないだろうか。

 2011年のベストセラーノンフィクション『木村政彦はなぜ力道山を殺さなかったのか』の著者で、自身も柔道有段者である増田俊也氏が、こう話す。

「ものすごいスピードとパワーとキレで、真下に落とされる大外刈りは、かけた相手を失神させてしまうため、出稽古などでは“勘弁してくれ”と禁止されていたほど。背中を畳につけたら一本というルールの中、普通は頭を叩きつけようとは思いませんが、木村先生だけは武道としての柔道を追求していたわけです。また、木村先生の“腕緘み”は、立った状態からでも、上からでも下からでも取れるバリエーションが豊富で、64年の東京五輪で来日したソ連の代表選手たちを当時、40代後半であった木村先生が腕緘みでボコボコにしたというエピソードもあります」

 木村の最強伝説の一つが、51年にブラジル・マラカナンスタジアムで行われたグレイシー柔術創始者のエリオ・グレイシー戦である。

「ブラジル大統領も観戦する中、試合開始早々に、木村先生は失神を狙って大外刈りでエリオを後頭部から叩きつけましたが、マットが柔らかくて、失神には至らず。そのまま寝技の展開となり、“腕緘み”を極めました。しかし、エリオがタップをしないため、しかたなくエリオの腕を折って決着となったんです」(増田氏)

 必殺技で我々に夢と勇気を与えてくれる――そんな格闘家の登場を期待したい。

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