■SMAP誕生がトシちゃん独立のキッカケに
田原は8月18日発売の『週刊文春』の阿川佐和子氏(67)による連載『阿川佐和子のこの人に会いたい』にゲストとして登場。
阿川氏から、いつジャニーズ事務所を「辞めよう」と考えるようになったか問われた田原は、事務所がSMAPを作り始めた頃だと振り返っている。
「SMAPと田原にはそれほど接点はないと思われましたが、SMAP誕生と田原の独立に関係があったというのは驚きですよね。
ジャニー氏は常に新しいものを作ることのほうが楽しい人だと、田原は語っていますが、その“新しいもの”であるSMAPの存在を目の当たりにして、田原は“独り立ちしないとな”と感じたんでしょうね。1980年代、ジャニーズ事務所を牽引した田原が、SMAPの登場をきっかけに退所したのですから、SMAPがジャニーズの“その後”を変えたと言えますよね。
田原は1991年に個人事務所を設立し、1994年にジャニーズ事務所から完全に独立しました。田原が個人事務所を作った1991年は、SMAPのデビュー年にあたります」(前出の夕刊紙デスク)
SMAPは1991年にCDデビューし、数年間の下積みはあったものの、その後は『青いイナズマ』、『SHAKE』、『夜空ノムコウ』、『らいおんハート』など、ヒットを連発。
2002年7月リリースの『世界に一つだけの花』は、オリコン調べの売り上げ313.2万枚(2019年9月23日付)。平成で最も売れたシングル曲で、ジャニーズ事務所所属タレントのシングル売り上げでも歴代1位を記録した。
「『世界の一つだけの花』は音楽の教科書にも掲載され、SMAPは文字通り国民的スターになりました。SMAP関連の年間の売り上げは250億円にも上るという報道もありました。それほどの利益をジャニーズ事務所にもたらしていたわけです。
田原、近藤真彦(57)、野村義男(56)のたのきんトリオ、少年隊、光GENJIの時代が終焉し、SMAPが事務所を潤すようになった。ところが、そのSMAPが事務所内の派閥争いに巻き込まれて解散に追いやられてしまうんです」(前同)