人々の胸を打つ演技力や歌唱力を誇るスターたちには、もうひとつの隠れた才能が!? 知られざる武勇伝を公開!
8月14日にジェリー藤尾さん(享年81)が他界した。『遠くへ行きたい』などのヒット曲で知られ、俳優としても活躍したジェリーさんだが、若き頃はかなりの武闘派だったといわれる。そこで同氏を偲び、“芸能界最強は誰か?”を検証したい(以下、一部敬称略)。
18歳で芸能界入りする前のジェリー藤尾が、愚連隊の一員として暴れ回っていたのは有名な話だ。
「暴対法が施行されるはるか昔の新宿で、16〜17歳にして“中央線の鬼”の異名で恐れられていた。ちなみに、所属組織のトップは、ジェリーさんが歌手デビューした頃、敵対組織により射殺されています」(裏社会に詳しいライター)
一方、更生したジェリーさんは俳優としての才能を開化。映画『用心棒』(1961年)、『エレキの若大将』(65年)など名作に出演することになる。そんな昭和の映画界には数多くのステゴロ伝説がある。
「具体的な逸話は少ないものの、ある意味で“桁違いの存在では?”と考えられているのが鶴田浩二さん(享年62)です」(前同)
ケンカにおいて、肝が据わっているか否かは重要な要素だが、その点で鶴田は群を抜いていたという。
「1950年代初めの頃、鶴田さんのマネージャーの言動が、当時、芸能興行を収入源としていた田岡三代目の逆鱗に触れた。それが発端となり、大阪に滞在中の鶴田さんが組構成員4名に襲われ、酒瓶やレンガで殴打される事件があった」(同)
これが俗に言う「鶴田浩二襲撃事件」である。多勢に無勢で大ケガを負った鶴田だが……。
「治療を受けた鶴田さんは、なんと自分から三代目に面会、釈明を求めた。結局、三代目は堂々たる鶴田さんの態度を気に入り、以後は寵愛したといいます。当時の鶴田さんは、今の俳優でいえば菅田将暉や神木隆之介と同じ28歳。その年齢にして、大親分にまったく萎縮しなかったんですから、驚きです」(同)
また、メンタルの強さに加え、腕っぷしにも自信があったようだ。
「生意気な後輩俳優を挑発して、殴りかからせ、返り討ちにしたこともあると聞きます」(映画関係者)
その鶴田が東映移籍後、ブームを起こしたのが任侠映画だ。そして、その系譜に“芸能界最強”と語り継がれるスターがいる。