■“昭和の天才”もまた、プロ入り時点ですでに超一級品

 さて、そんな大谷同様、“昭和の天才”長嶋茂雄もまた、プロ入り時点ですでに“超一級品”だった。

「入団1年目で29本塁打、92打点を記録。本塁打王と打点王の二冠を獲得しています。打率もリーグ2位でしたから、ルーキーにして、早くも球界のトップレベルにいたことになります」(当時を知る元記者)

 その後もセ・リーグ最多となる首位打者6回をはじめ、本塁打王を2回、打点王を5回獲得するなど、バットマンとして輝かしい成績を残す。しかし。

「ミスターの真骨頂は、やはり“大舞台での強さ”。打ってほしいとファンが願う場面で、期待に応えてくれた。それこそが、スーパースターたるゆえんでしょう」(前同)

 その言葉を裏づけるように、長嶋は日本シリーズMVPを4度獲得。これは歴代1位で、シリーズ通算の安打数と打点も歴代トップ。

 そして極めつけは、やはり“天覧試合でのサヨナラホームラン”だろう。

「この日、陛下は9時15分まで観戦するご予定で、長嶋さんが打席に入ったのが9時12分。サヨナラホームランを打った後、長嶋さんは不敬と思いながらも、我慢できずにバックネット裏の貴賓席を確認。すると、陛下が身を乗り出して観ておられた。そのとき、長嶋さんは“親孝行ができた!”と感じたそうです」(前出の徳光氏)

 勝負強さを併せ持つ、長嶋の天才的な打撃は、これも大谷同様、ストイックな努力で維持されていたと言えば、驚くだろうか。

「ミスターは試合後、自宅の地下室にこもり、電気を消して素振りを繰り返したそうです。真っ暗にするのは、スイングの音に敏感になるため。バットを振る音で、スイングの良し悪しを判断していたといいます」(前出の元記者)

 素振りを終えて地下室を出ると、朝になっていたこともしばしばだったという。

「あえて大きめのヘルメットをかぶって、空振りで豪快に飛ぶようにしたのは有名な話ですが、鏡の前でヘルメットの飛ばし方まで練習したとか。ミスターのひたむきな努力は、高いプロ意識の表れといってもいいでしょうね」(前同)

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