■午後2時46分、スケート靴のまま外に飛び出し…

「東日本大震災からちょうど10年の節目の年となった2021年、羽生は報道番組『news every.』(日本テレビ系)の取材で、新型コロナウイルスの感染拡大が続く日々のなかで、震災のときと同じような気持ちを感じていたことを告白しています。

 彼は長引くコロナ禍で、“自分が(スケートを)滑って良いのか分からない時期はすごく長くありました”と、正直な胸の内を明かしているのです」(前出のスポーツライター)

『共に、前へ』には、震災当時の羽生の葛藤も赤裸々に綴られている。

「震災当時、東北高校に通う高校1年生だった羽生は、3月11日もいつも通り宮城県仙台市にあるスケートリンクで練習をしていました。午後2時46分、これまでに体感したことのないほどの揺れを感じた彼は、スケート靴のまま外に飛び出します。

 大事なスケート靴のブレードはボロボロになったそうですが、体は無事でした。ただ、戻った自宅は後に全壊と判定されるほどダメージを受け、住める状態ではなくなっていたのです」(前同)

 そのため震災からしばらくの間、羽生は家族で避難所に暮らした。彼は、避難所生活のなかでスケートができない焦りを感じつつも、「スケートをしたい」とは絶対に口にできなかったことも打ち明けている。

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