■「自分だけ好きなことをやっちゃいけない」の葛藤

「羽生は“スケートをやりたい思いはすごくあったけど、自分の口からは絶対に出せなかった”と震災当時を振り返り、“またみんなで美味しいご飯とか、お風呂とか……。みんなで過ごせる日々がまず戻ったらいいな”と願っていたこと、そして“別にスケートをやらなくてもいい。自分だけ好きなことをやっちゃいけない……”と、自分に言い聞かせていたことを明かしています」(前出のスポーツライター)

 未曽有の大災害のなかで、精神的にも追い詰められた様子がありありと語られている。しかしその後、当時すでに日本のスケート界の希望となっていた羽生には、救いの手が差し伸べられる。震災から10日ほど経った頃に、彼は母親と仙台を後にし、神奈川県のスケートリンクで練習を再開させたのだ。

「スケートを再開できたことは嬉しかったものの、彼は後ろめたい気持ちも感じていたと言います。生活もままならない被災者がたくさんいるなかで、自分がリンクに立つことに後ろめたさを感じていた日々と、コロナ過で日常生活を奪われた人たちがたくさんいるなかでスケートに打ち込む後ろめたさが、きっとリンクしたのでしょうね」(前同)

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