■木次文夫とポジションの座を争い

「補強に貪欲だった巨人はその年、早稲田大学の一塁手・木次文夫を獲得。六大学野球通算7本塁打は当時、長嶋茂雄の8本塁打に次ぐ歴代2位タイの記録でした。58年に現役を引退した、“打撃の神様”川上哲治の後を継ぐ大型一塁手として期待され、契約金は長嶋や王よりも上だったといいます」(当時を知るベテラン記者)

 1年目の後半から一塁のレギュラーの座をつかんだかに思われた王。だが、プロの世界は甘くなかった。

 キャンプイン前の多摩川グラウンドでの練習で、水原茂監督から「一塁と外野の練習をしておけ。おまえは(木次と)競争してポジションを勝ち取れ」と告げられたのだ。

 キャンプ地である宮崎県営球場の左中間側に当時、自動車工場があったが、「長嶋さんは当然、そこに打ち込んでいたが、木次さんも負けずに放り込む。この光景を見て、脅威を感じたのを覚えています」と、ライバル・木次の打撃に焦りを覚えたと王は振り返る。首脳陣も当然のごとく、ノックや特打のときには必ず2人を一緒にし、競争心を煽った。

 結果、王の闘争心にも火がついた。

「あの年のキャンプは、人一倍、バットを振ったことを覚えています」(王氏)

 キャンプ4日目、さっそく素振りの成果が表れる。5イニング制の試合形式でバッティング練習が行われると、王は場外ホームランを含む3打数3安打と打棒が爆発したのだ(二塁打1、三塁打1、本塁打1と、すべて長打)。

 キャンプの取材に来ていた“初代ミスタータイガース”藤村富美男をして、こう言わしめている。

「王は、バットがよく振り切れている。去年よりもずっと進歩の跡が見える。去年は外角球に対して、まったくなっていなかったが、今年は非常にうまくバットを振り出している。欲を言えば、もう一息。球に体を寄せたらと思う。“木次より王のほうが一枚上”という水原監督の言葉通りだ」

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