■「あばらの骨折の時は笑うと痛い」「笑わせてくるやつもいるんですよね」

岩岡「拳が大きいですね!」

ミノワマン「そこまでじゃないですよ?」

岩岡「これ(拳)が心臓の大きさって言うじゃないですか。すごい! 心臓も大きくなるんですかね?」

ミノワマン「(聞き間違えて)身長が、僕は大きくしたいけど20歳くらいから変わってないですね」

岩岡「鍛えたら心臓も大きくなるのかな、可能性ありますよね」

ミノワマン「ケガとか、大丈夫ですか?」

岩岡「特に私はしたことないんですけど、カートで雪道でスリップして、ガードレールにぶつかって、あばらが折れました」

ミノワマン「それは練習?」

岩岡「練習です。気を抜いていたんですよね。プロテクターもつけずに、“遊びだからいいか”と思ってたら、初めて折るっていう。調子に乗ったらいけないですね。」

ミノワマン「あばらの骨折は、くしゃみや笑う時にキツいですよね」

岩岡「そうですよね。よく笑う(性格)ので本当に地獄だったんですよね」

ミノワマン「笑わせてくるやつもいるんですよね。“ちょっとやめてくださいよ”って言っても、痛いのに……」

岩岡「そうなんですよね(笑)」

―ミノワマンさんも、そういう経験が?

ミノワマン「僕も何回もあります。インドの試合であばらをやって、ずっと痛いのに帰りの飛行機で隣で笑わせてくる」

―うわぁひどい! 格闘家あるあるですか。

ミノワマン「そうですね。ありますね」

―骨折の回数は、もう数えきれない?

ミノワマン「そうですね……あばらは3回くらいかな。でも、軟骨とかもあるので……。

 あと、20年末の『RIZIN』でスダリオ剛選手と試合した時に、下腹部を蹴る“カーフキック”を4発くらい貰って、それで立てなくなって負けたんですけど、その時もレントゲンを撮ったら骨には異状なかったんですけど、“こっちの下の方に骨折した痕があるけど大丈夫なの?”って言われて。“いや足首は骨折したがことないです”って言ったら、“いや痛かったんじゃないですか?”って。骨折したのを知らないで折れていた場所がありましたね」

―それは治ったんですか? 痛みに強すぎですよ……。

ミノワマン「痛くないから治ってると思いますけど、確かに足首痛いなっていうのは何回もバキバキやってますので、痛いときはいっぱいありましたけど。

 だから、ケガの具合とか、どれくらいで治るかとかは、感覚で分かるようになりましたね。ほかの人がけがしたのを見ても、あ、これ縫った方がいいですね“とか」

岩岡「お医者さんですね(笑)」

ミノワマン「“あと3か月くらいですね”とか、“1バキですか2バキですか? あ、バキバキバキですか。なら6か月くらいかかりそう。1バキだったら、たぶん3か月ですね”とか(笑)。そういう感じの感覚で、身体のケガを知るようになりました」

ミノワマン

1976年1月12日 生まれ

 97年にパンクラス入団。常軌を逸したファイトスタイルが人気を博し、菊田早苗、佐々木有生らと激闘を展開。また、闘いの場をDEEPにも求め、ヒカルド・リボーリオや田村潔司らとも名勝負を演じた。主戦場をPRIDEに移すと、ステファン・レコ、フィル・バローニなどといった強豪から勝利。

 07年8月よりHERO’Sに参戦し、ヒクソン・グレイシーの愛弟子、ケビン・ケーシーからKO勝ちを収める。無差別級での対戦を信条とし、バタービーンやズールといった巨漢ファイターとも真っ向勝負を展開。DREAM参戦後もイ・グォンボム、エロール・ジマーマンといったヘビー級戦士から勝利を収め、09年に行われたスーパーハルクトーナメントではボブ・サップ、チェ・ホンマン、ソクジュをすべて一本・KOで倒して見事優勝を果たした。

 得意の足関節技に、驚異的な力を秘める“火事場のクソ力”を武器にその後もDREAM、DEEP、GLADIATOR、ROAD FC、RIZNなどにも参戦している。

 現在は復活にかけて、新しいミノワマンを建設中。

 岩岡万梨恵

1993年3月5日 生まれ ライセンス区分 国際B

 普段は、おっとりしていていますが、いざ車に乗ると豹変!

 レース中は後ろに付いたら離さない。ライオンが狩をするがごとく、闘志むき出しのレースが信条。

 器械体操の先生で特技はバク転、バク宙。いつかレースで優勝して表彰台でバク転をしたい!という夢も。

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