■モントリオール五輪を目指すつもりが…

――その後、具志堅はめきめき頭角を現し、高校3年のときにインターハイで全国優勝。高校時代の通算成績は62勝3敗。大学からも、プロからも誘いの声がかかった。中でも、とりわけ熱心だったのが協栄ジムだった。

 協栄ジムの人は、石垣島まで来ました。でも、おふくろがプロ入りには断固反対。僕もモントリオール五輪を目指すつもりでした。幸い、拓殖大学に特待生で入学することも決まった。

 ところが、卒業式を終えて沖縄を発ち、羽田空港に降りると、迎えに来ていたのは協栄ジムのスタッフ。そのままジムに連れて行かれました。しかも、そこには数十人の記者やカメラマンがいて、記者会見まで用意されていたわけです。ここまで来ると、引くに引けなくなっちゃって。やむなくプロ入りを決心しました。

 ただ、両親をはじめ、沖縄で世話になった人には申し訳なかった。世界チャンピオンになって恩返しするしかないと思いました。

――このとき決意した通りに、具志堅は9戦目にジュニアフライ級世界王座を獲得。5度目の防衛までは、とんかつ屋のバイトを続けたが、これは生活のリズムを崩したくなかったからだ。そして、14度目の防衛は故郷の沖縄で行われた。これが最後の試合となったわけだが、敗因の一つは、「試合前にアイスクリームを食べられなかったから」。

 アイスの一件は今も具志堅伝説のようにいわれるけど、本当の話です。ボクサーにとって、計量後に好きなものを食べるのは何よりの楽しみ。それが、僕の場合はアイスだった。アイスの糖分が僕のエネルギーになるんですよ。でも、このときに限って金平正紀会長が計量の場に来てて、アイスはダメ、水もダメ、肉も少なめにしろって言う。でも、沖縄は暑いから、しっかり水分をとって、食べないとダメなんですよ。

 その意味では試合前に闘う気持ちは失せていたかもしれない。実際、今でもどうやってリングを降りたか、まるで記憶がありません。

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