■具志堅用高 略年表
1955年(0歳)沖縄県石垣島に生まれる。父はカツオ専門の漁師、母はカツオ工場とサトウキビ畑で一年中、働き詰めの生活。4人兄弟の3番目(次男)。
1962年(6歳)地元の小学校に入学。学年で一番小さかったが、負けず嫌いで、よく喧嘩をしては、「人を殴るな」と母に叱られていた。
1968年(12歳)中学に入学。家計を助けるためにパイナップル収穫のアルバイトを始める。炎天下で、20キロほどにもなるカゴを背負う重労働だった。
1971年(15歳)公立高校を受験するも、名前を書き忘れ、不合格。中学の担任教師の勧めで沖縄本島の興南高校に入学し、石垣島を離れ、下宿生活に。
1972年(17歳)高1のとき、後のWBA世界スーパーフェザー級王者・上原康恒に出会い、ボクシング部入部。才能が開花し、高2でインターハイベスト4に。
1973年(18歳)高校3年次に、インターハイ優勝。階級は、モスキート級。高校の通算成績は、62勝3敗。モントリオール五輪のメダル候補と話題に。
1974年(18歳)拓殖大学ボクシング部特待生が決まり、上京。しかし、羽田に着くと協栄ジムに連れて行かれ、そのまま記者会見。プロボクサーとなる。
1976年(21歳)10月、ファン・グスマン(ドミニカ)にKO勝ちし、ジュニアフライ級世界チャンピオンに。7戦目の世界王座獲得は当時の国内最短記録。
1981年(25歳)3月、地元沖縄で行われた14度目の防衛戦で、ペドロ・フローレス(メキシコ)に敗れ、引退。フローレス戦の2週間後に結婚式を行った。
1983年(28歳)引退後は一時、虚無感に襲われていたというが、元気を取り戻し、競艇選手を目指したり、飲食店の経営をしたりと第二の人生を謳歌。
1995年(40歳)白井義男と共同で「白井・具志堅スポーツジム」を開設。2020年に閉館するまで、WBC世界フライ級王者・比嘉大吾などを育てた。
2015年(60歳)ボクシングで殿堂入りした一方、国内では、イクメン・オブ・ザ・イヤー・イクジイスポーツ部門を受賞。現在、孫は5人。