■マスコミに対しても太っ腹

 豪快な武勇伝を持つ昭和のスターたちは、石原軍団を例に出すまでもなく、マスコミに対しても太っ腹だったようだ。芸能レポーターの川内天子氏がこう語る。

「勝新太郎さんは捕まったときや、ガンが発覚したときなどに記者会見を行っていますが、実はその際、取材に来たマスコミ全員にお酒をふるまって“まあ飲みながら話そうぜ”と言っていました(笑)」

 今よりもマスコミの攻勢が激しかった時代。懐柔の意図もあったのだろう。

千昌夫さんも離婚問題で騒動になっていたとき、彼が“手打ちしようぜ”と言って、20人以上の芸能リポーターを一流の料亭に招待したんです」(スポーツ紙芸能班デスク)

 1人10万円以上もの会計となったが、全部、千のおごりだった。

「途中で千さんは仕事で抜けたものの、戻ってきて、二次会のカラオケにも参加。とはいえ、こちらも仕事ですから、その後も追跡取材しました(笑)」(前同)

 酒の席は女性を口説くための場所だけではない。時代劇「必殺シリーズ」に関する書籍を秋に刊行予定の作家の高鳥都氏はこう語る。

「仕置き人として山崎努さんや、中村嘉葎雄さんが出演されていましたが、スタッフに言わせれば、2人とも“ほとんど酒乱”というほどの酒飲み。酒席で熱い演劇論をかわし、“監督呼んで来い”と東京から呼び出して、喧け ん々け ん諤が く々が くしていたそうです」

 その激論は番組制作にも影響を及ぼしたという。

「山崎さんは“好きにやらしてもらうで”と、飲みの席でのアイデアでアドリブを連発。そっちのほうが、面白い番組になるんだとか」(前同)

■スターたちが命を張った銀座

 銀座は東京の夜の街でも屈指の格と歴史を持つ。最後は、若き日のビートたけしにまつわる銀座の伝説で締めくくろう。漫才ブームで世に出たたけしが、島田洋七とともに、初めて銀座に繰り出したときのことだ。

「たけしは銀座のクラブのナンバーワンホステスの月給が200万円との記事を読んでいて、それを1軒飲んだら200万円かかると勘違いしていたというんです。それもあって、初の銀座で意気込んだ2人は、給料日にお互い2000万円ずつ紙袋に詰めて店に出向いたそう」(芸能記者)

 桁違いの勘違い!

「結局、怖くて紙袋を預けることもできず、抱えながら飲んだとか」(前同)

 それだけ、銀座は敷居の高い街としての魅力にあふれ、男たちはそれに憧れたのだろう。そんな昭和スターのあり方について、前出の川内氏が、こう語る。

「自分がスターであることにこだわり、けっして周囲に弱いところを見せない。自身のスケールの大きさを見せることに、文字通り、“命懸け”だったんだと思いますね」

 時代は変わる、男女の関係性も変わる。しかし、スターの矜持だけは、今後も変わらないでほしい。

  1. 1
  2. 2
  3. 3
  4. 4
  5. 5