■三沢光晴エルボーの凄まじさ

 4位に入ったのは、三沢光晴の「エルボー」。その威力はすさまじく、鶴田の鼓膜は破れ、小橋建太の歯は根元から真っ二つに割れたという。三沢のタッグパートナーを務めた秋山準は、過去に本誌の取材で、こう語っている。

「とにかくエルボーが効きました。最初はアゴの骨がズレましたけど、アレって、(受けるときに)引いちゃダメなんですよね」

 一方で、三沢の右肘も深刻なダメージが蓄積し、晩年は日常生活にも支障をきたしていたという。

〈右腕の肘の辺りは砕けた軟骨、いわゆる関節ねずみが散らばっている。肘を回す度にガリゴリと音がする〉(『三沢光晴外伝 完結編』主婦の友社より)

■カール・ゴッチから伝授されたドラゴン・スープレックス

 3位の藤波の「ドラゴン・スープレックス」は、カール・ゴッチから伝授された究極の必殺技だ。

「ニューヨークで行われたカルロス・ホセ・エストラーダとのWWWFジュニアヘビー級王座戦で、藤波がドラゴン・スープレックスを初披露すると、観客は総立ちで熱狂したんです」(プロレス専門誌記者)

 しかし、藤波が控室に戻ると、レスラーたちは冷ややかだったという。

「受け身の取れない危険すぎる技だったため、当時の米マット界でタブー視されたんです」(前同)

 田中氏は、「藤波のドラゴン・スープレックスが返されたところを見たことがない」と述懐する。

「1985年12月の宮城大会では、ドラゴン・スープレックスで猪木会長にフォール勝ちしています。手のグリップがしっかりしていて、肩からではなく首から落ちるので、レフェリーは3カウントではなく、“ギブアップ勝ち”を判定することもありました」

 越中氏は藤波のドラゴンロケットにも驚いたという。

「ヘビー級の体でロープの2段目と3段目の間から飛ぶなんて、藤波さん以外にできる人はいませんよ」

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