■パ・リーグで暴れた外国人選手

 そんな“世界の王”は例外として、昭和・平成の球界で“飛ばし屋”の名をほしいままにしたのは、“実力のパ”に在籍した屈強な助っ人外国人勢だ。

「とりわけ印象深いのは、84年に外国人初の三冠王にも輝いた阪急のブーマーでしょう。88年7月13日の西宮球場、両軍合わせて10本のホームランが出た西武戦で、渡辺久信から放った162メートルの場外弾は当時の新記録。落下地点が確認されているものでは現在も最長となる歴史的な一発でした」(同)

 のちにブーマーの背番号「44」を受け継いだ前出の高橋氏も「モノが違った」として、こう語る。

「彼には右にも左にも打ち分ける技術があったし、スイング音からしてもう別格。まだブレーブスだったオリックス初年度の試合前練習なんて、大トリでそのブーマーと門田(博光)さんがそろってゲージに入って、全部ホームランにする。とんでもないですよ。次元が違いすぎて、僕の師匠の水谷実雄コーチからは“やつのマネをしようとはするな”と最初にクギを刺されていたしね(笑)」

 その後、89年には、中日でくすぶっていたブライアントが近鉄でブレイク。

 90年6月6日の日本ハム戦では、角盈男からセンター直上の天井にあるメインスピーカーを直撃する、推定飛距離160メートルの認定ホームランを放ち、周囲の度肝を抜いた。

「東京ドームの天井高61.69メートルは、実は64年の開幕戦で王さんが金田さんから放った場外弾(前出)の推定飛距離をもとに算出されている。当該のスピーカーは、それを踏まえ、計算上は絶対に当たらない位置に設置されていたものでした。なお、この特別規約で“認定ホームラン”になったのは過去3例だけ。他に08年のズレータ(ロッテ)と、14年の村田修一(巨人)が記録しています」(元スポーツ紙デスク)

 ところで、ブライアントも、高橋氏と同じく“中西チルドレン”の一人だ。

 当時はまだ中西氏との面識がなかった高橋氏も、ブレイク前の彼に対する“熱血指導”を、目の当たりにしていたという。

「俺がまだ1軍と2軍を行ったり来たりしていた頃。藤井寺で“親子ゲーム”があったりすると、2軍の試合後に、頭にタオル巻いた中西さんとブライアントが早出してきて、特打ちをやっててさ。大爆発したのは、それからすぐ。彼が大成できたのは中西さんのおかげ。あんなにアホみたいに振り回すやつ、並のコーチなら絶対直したくなる(笑)」

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