■セ・リーグでは強竜軍団が
他方、同じ頃の90年代、セ・リーグはどうか。巨人へと去った落合博満に代わり、苦労人・山崎武司が覚醒。大豊泰昭、ゴメス、パウエルらが居並ぶ“強竜打線”の面々が活躍していた。
当の山崎氏は当時を振り返って、こう語る。
「やっぱりホームランは自分の武器。同じチーム内でも、あの3人には、本数でも飛距離でも負けたくないって気持ちは当然あったよ。ダイヤモンドを回る間の得も言われぬ優越感は、やっぱりクセになるからね」
その山崎氏の特大弾と言えば、史上3人目の両リーグ本塁打王に輝いた楽天時代の07年5月27日、横浜スタジアムでの一撃が有名。
球場を飛び越えた場外弾は、横浜公園内の屋台で売られていた『プリキュア』のお面を直撃したのだ。
「そんなこともあったね。でも、狭いハマスタだから、大した自慢にはならないよ(笑)。同じハマスタの場外弾なら、大洋の田辺学さんから打ったプロ1号(91年5月9日)のほうが、僕は記憶に残ってる。あれこそが自分の原点だからね」
■ゴジラ松井秀喜の一発
原点が場外弾という生粋の長距離砲である山崎氏が、96年などで熾烈なタイトル争いを繰り広げたのが“ゴジラ”松井秀喜だ。
「飛距離で言えば、98年のオールスター第1戦、近鉄の高村祐から放った一発ですね。ナゴヤドーム5階席まで一直線のミサイルのような弾道は、球宴史上最長の推定160メートル弾。東京ドームで6本の天井直撃弾を放ったし、松井は巨人の歴史の中でも一番のパワーヒッターでしょう」(スポーツジャーナリスト)
ちなみに、山崎氏が「度肝を抜かれた」と振り返るのが、西武で一時代を築いたカブレラ砲。
05年6月3日の横浜戦では、本拠地・西武ドームの屋根を直撃する、推定飛距離180メートルの特大“認定ホームラン”も放っている。
「三浦大輔から放った打球は左中間上空に急上昇。観客がその行方を見失う中、打球は外野のフェアゾーンの天井に当たったとのことでホームラン認定。伊東監督も“生まれて初めて見た。あそこまで飛ばすなんて、もう野球じゃないよ”と呆れる一撃でした」(前同)
山崎氏は続ける。
「バットが折れても、詰まってもスタンドまで持っていく。遠くへ飛ばす、ということにかけては、僕も自信があったけど、彼には“上には上がいる”って思い知らされたよ」