世界を変えた二刀流「大谷翔平」プロ生活10年“驚愕伝説”令和のスーパースター仰天の記録と秘話【画像】「SHO‒TIME伝説」リストの画像
大谷翔平

 やれるかやれないかではなくて自分次第――自身のその言葉通り道なき道を歩むヒーローの足跡がここに!

 6月30日、本拠地でのダイヤモンドバックス戦。我らの大谷翔平(29)が自己最長&今季大リーグ最長となる493フィート(約150メートル)の超特大弾で、3年連続30本に到達した。

「6月の月間15本塁打はベーブ・ルースら過去3人だけ。実に62年ぶりの歴史的な大爆発でした。しかも、この間の打撃成績は、盗塁を除く全項目でリーグトップ。文句ナシの受賞となった自身3度目の月間MVP&6度目の週間MVPも、日本人歴代最多です」(スポーツ紙MLB担当記者)

 今回はそんなスーパースターの、2013年の日本球界デビューから今日まで、世界を驚かせ続ける“プロ10年”を深掘りしていこう。

■大きな転機となったドラフト会議

 最初の大きな転機となったのはやはり、12年のドラフト会議だ。“メジャー一本”を明言していた大谷に、多くのチームのスカウトが“可能性はナシ”と指名を断念していった。

「意外ですが、スカウトの間では、広角に打ててパンチ力もある“打者・大谷”の評価のほうが高かった。花巻東高3年時のセンバツで、大谷は大阪桐蔭の絶対的なエースだった藤浪晋太郎から、ホームランを放った。その中継を見たソフトバンクの王貞治会長が“大谷はいい。僕の55本を超える素質がある”と絶賛し、スカウトに、なんとか取れないか、再確認したそうです」(スポーツ紙デスク)

 一方、メジャーのスカウト陣は、“投手・大谷”に評価が偏っていたという。

「去就が注目されるにつれ、籍を置く花巻東高や、同校野球部の佐々木洋監督にまで、批判や嫌がらせが相次いでも、大谷は“二刀流”の信念を曲げなかった。でも、大リーグ各球団が将来性を見越したのは“ピッチャー・大谷”。そこに生じた齟そ齬ごによって、彼も次第に態度を軟化させることになったんです」(前同)

 日本ハム球団は、のちに一般公開もされた30ページにも及ぶ『大谷翔平君 夢への道しるべ』なる資料を用い、二刀流の全面的なバックアップを約束した。

 かくして大谷は、ダルビッシュ有の系譜に連なる日本ハムのエースナンバー「11」を背負い、日本球界にデビューすることになる。

 日本ハムから5位指名を受けた、同期入団の新垣勇人氏が、こう振り返る。

「端で見ていても、栗山(英樹)監督と担当スカウトだった大渕(隆)さんの存在は、やっぱりすごく大きかったと思います。監督としての栗山さんは、信じて託して待つ、ということができる人。前例のなかった挑戦を認めることができたのも、あの2人がそろっていた当時の日本ハムだったからって気はしますよね」

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