■メジャーリーグで雑音を一蹴した3試合連続弾
日本ハムでの5年間を常にレベルアップに費やした大谷は、17年オフに満を持してポスティング申請。FA権の取得どころか、最低保証年俸55万ドル(約6050万円)でのスタートとなる海外選手の“25歳ルール”によるエンゼルス入団に、当時は驚きの声が上がった。
大リーグ評論家の福島良一氏が、その意図について、こう解説する。
「仮に高校から、いきなり渡米していても、まず間違いなく二刀流では使ってもらえなかったはずですし、日本で海外FA権を取ってからでは年齢的に遅すぎる。20代のうちにFAで、より条件のいい契約を結ぶことを考えても、渡米のタイミングは、あれがベストな選択だったと思います」
海を渡った大谷のメジャー初本塁打が飛び出したのは、野手出場2試合目の18年4月3日、インディアンス戦。さらに、そこから怒ど濤とうの3試合連続弾で、二刀流に懐疑的な声も多かった全米メディアの雑音を、驚異的なパワーで一蹴する。
「あの3本はいずれも打った瞬間に、それと分かる完璧な当たり。期待はされながらも、どこか半信半疑なところもあった周囲の論調が、あれで一気に変わっていきました。投打の負担を考慮しての判断もあったと思いますが、デビュー時の彼は“8番・DH”。その打順からも、当時の立ち位置が今とはかなり違ったことが、よく分かります」(前同)
■トミー・ジョン手術を受けて
一方、移籍初年度こそ新人王を獲得するも、翌19年から20年にかけてはトミー・ジョン手術の影響もあって投手としては、ほぼ全休。“覚醒”の1年となった21年シーズンは“二刀流継続”の正念場だった。
「もし結果が出なければ、おそらく投打どちらかへの専念を迫る声も高まったはず。その意味でも“リアル二刀流”を解禁した、同年4月4日のホワイトソックス戦は大きなターニングポイント。あの試合で、初回にいきなり放った本塁打が、その後に始まる快進撃の号砲ともなりました」(同)
打っては、最後までタイトル争いを繰り広げて46本塁打。投げても9勝をマークし、堂々の満票で同年、ア・リーグのMVPに選ばれる栄光に浴した。
自身も大リーグ経験者で解説者の薮田安彦氏は、大谷の進化の理由をこう言う。