■石川数正が豊臣秀吉側に寝返る“最大のドラマ”
さて、信長も退場し、ドラマは終盤へ。今後の見どころは、どこか。
「小牧・長久手の戦い以降、家康の家臣である石川数正(松重豊)が、秀吉側に寝返るところは“最大のドラマ”でしょうね」(加来氏)
小牧・長久手の戦いとは、秀吉と織田信雄VS家康陣営との間で行われた戦。最終的に双方は和睦したが、その直後、数正は岡崎城を出奔し、秀吉の配下となる。
「家康の家臣の中には“秀吉を討つ”という声もあった。そんな暴走を止めるために、数正が出奔したとも考えられるんです。重鎮の数正が出奔すれば、徳川の情報は秀吉側に筒抜けになり、勝ち目はなくなる。自分が悪者となり、戦をやめさせたのでは」(前同)
さぁ『どうする家康』では、どう描かれる……?
■まだある!ここがヘンだよ!『どうする家康』
信長が「首を突き刺した」はウソ? 劇中で信長は、討ち取った今川義元の首を、槍に刺して投げつける。これは史実と違い、「『信長公記』には、義元の首を供養するために丁重に、今川居城の駿府へ送り返したと書かれています」(跡部氏)。実際の信長は礼儀を重んじる性格?
火縄銃は連射できない? 劇中では、信長は火縄銃を連射するが、「撃つたびに火薬と弾を込めなければならず、連射は無理なんです」(跡部氏)。劇中の長篠の戦いでは、鉄砲隊を3列に並べ、交代しながら発射することで、連射に近い︎状態に。こちらが史実に近い!?
デカすぎる「清州城」はアリ?劇中、CGで描かれた清州城には「広大すぎる」とツッコミが殺到。しかし、「文化財の決まりで、実在した城は設計図の通りに再現しなくてはならない。でも、清州城は実在していても不確か。だから自由に描いていいんです」(加来氏)。
信長は「柔術の使い手」ではない? 岡田准一演じる信長が、柔術で家康の関節をきめる場面が話題になったが、このシーンの信憑性は微妙。「柔術に近いものが戦国時代に存在したのは事実のよう。でも、信長が学んでいたという資料はありません」(歴史ライター)。
「元康」から「家康」へ改名した本当の理由 劇中での理由は「三河を一つの“家”だと考えるため」。しかし、「自らのルーツが源氏だと信じていて、平安時代後期の武将・源義家から取ったという説もあります。名字を徳川(最初は得川)に変えたのも、源氏由来だったからです」(加来氏)。