■最初で最後のON監督対決

 そして、00年にはミレニアムにふさわしく、最初で最後のON監督対決も実現。

 かつて巨人の監督を追われた身でもある王監督にとっては、「巨人に勝って日本一になる」ことが、宿願だった。

「敵地・東京ドームで連勝するも、本拠地・福岡で痛恨の3連敗。第6戦にも大敗して、ON対決はミスターに軍配が上がりました」(スポーツ紙デスク)

 その日の試合後のことだ。

「職員が深夜になっても照明の灯る三塁側の関係者ルームを覗くと、王さんは着替えもせずに一人残って物思いにふけっていたとか。世界の王にとっても、野球人生で最も悔しい一日だったのかもしれません」(前同)

■落合博満の非情采配の真相

 00年代に入って物議を醸した出来事と言えば、落合博満(69)監督が率いる中日が、初の日本一に王手をかけた07年の第5戦。

 完全試合ペースの山井大介(45)を8回で降板させた“オレ竜”の非情采配が、話題になった。

 当時の森繁和ヘッドコーチと親交が深い伊原氏が裏側を、こう明かす。

「モリシゲに聞いた話では、山井の中指のマメが潰れて血でグシグシ。もう、どうしようもなかったと。だったら対外的にも、そう説明すればいいんだけど、何も言わない監督を飛び越えて、モリシゲが口を開くわけにもいかないしね。当時は非難もされたけど、監督の落合とすれば、最後まで行かせてやりたい親心との、せめぎ合いもあったんじゃないかな」

■30連勝のマー君が敗北で奮起

 前年の3勝、ポストシーズンでの2勝を含む前人未到の30連勝と田中将大(34)の独壇場だった13年。彼にとって唯一の黒星が、9回完投も2対4と敗れた、日本シリーズ第6戦だった。

「田中の渡米は既定路線だっただけに、星野仙一監督も勝負が決した時点で降板させるつもりでしたが、当の田中は続投を志願。結果160球を投げ切った。翌日のメンバー表に田中の名前を見つけた巨人ベンチは半信半疑で、連投までするとは思わなかったようです」(専門誌記者)

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