最新科学とOB証言で判明!大谷翔平より凄かったかもしれない!プロ野球「レジェンド選手」12人驚愕秘話の画像
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 世界最高額の男を生んだ国、日本。そこにはかつて、最高をも超える、伝説の12人のサムライがいた――。

 名門ドジャースへ史上最高7億ドル(約1015億円)移籍する大谷翔平(29)。今季は、海を渡る山本由伸(25)との“日米MVP”のそろい踏みも実現する。

 今回は、オフの話題を独占してきた現役最強のスーパースターをもしのぐ、昭和・平成のレジェンド選手の伝説を回顧。今だからこそ語れる“もしもの対決”を、OBや識者の知見を踏まえて検証したい。

■本塁打といえば王貞治

 まずは、昨季44発で日本人初の大リーグ本塁打王にも輝いた大谷の打棒から。本塁打といえば、やはりこの人。新旧の大リーガーから、今なお尊敬を集める“世界の王”王貞治をおいて他にはいない。

「時代が違いますから単純比較はできませんが、現時点での大谷の本塁打数は日米通算で171本。868本の世界記録を持つ王さんの4分の1にも届いていません」(球団関係者)

 毎年のように、継続して大記録を残し続けた点で、王は大谷を凌駕する。

「歴代最多の本塁打王15回、打点王13回は、まさに不滅の大記録。仮に大谷が日本で打者に専念していても、破られることはなかったでしょう」(前同)

 王さんといえば、荒川博コーチとの二人三脚で“一本足打法”をモノにした一念通天の「努力の人」。実際、1962年の“開眼”当初、チームを率いる川上哲治監督には「一本足では、いずれ確実性に問題が出てくるのでは……」との危惧もあったという。

「それを払拭すべく、荒川コーチ宅で猛特訓。練習場所だった8畳間の畳が1日1枚、たった16日で、表裏が全部ダメになったそうです。自身の足指が裂けても、王さんは弱音一つ吐かなかったとか」(同)

■天才打者、落合博満

 一方、“世界の王”と唯一、比肩できる天才打者、落合博満も忘れてはいけない。三度の三冠王はもちろん歴代最多。85、86年の2年連続50本塁打は、日本人唯一の快挙でもあった。直々に薫陶を受けた愛甲猛氏は、「さすがの大谷も技術では、まだオチさんにかなわない」と、こう続ける。

「オチさんには、マグレ当たりの本塁打がほとんどなかった。独自の打撃ゾーンを持っていて、そこに来たら、確実に仕留める。全体的に球場が狭く、投手の平均球速も遅い、あの時代に、大谷並みのフィジカルがオチさんにあったら、シーズン70本、通算で、510本の倍、1000本ぐらいは打てたんじゃないかな」

 しかも、昭和の時代、プロ野球界には昨今、主流のデータ解析や、スポーツ医学的な知識は、ほぼ皆無。各球団に、自前のトレーニング場こそあったが、トレーニングに科学的な根拠が入る余地はまだなかった。

「オチさんは一貫して“野球に使う筋肉は野球で鍛える”という考え方。現代の科学的なトレーニングが、あの時代にあったら、飛距離も伸びていたと思う。逆に、今の大谷に、どこにでも狙って打てるオチさんのハンドリング技術が加わったら、もっと、とんでもない打者になるだろうね」(前同)

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