■大谷に比肩!大リーグ級の偉人列伝

権藤博(1961~1968)無尽蔵のスタミナを誇る44試合に先発した大投手「権藤、権藤、雨、権藤」。大車輪の活躍で、相次ぐ連投をケロッとやってのけた権藤を、スポーツ紙はこう表現した。酷使にもかかわらず、シーズン終盤まで球威が落ちず、塗り替えることが不可能といわれる“アンタッチャブルレコード”シーズン35勝を記録した。当時の監督、濃人監督は、「抑えられるやつが権藤しかいないから、ずっと投げさせた、何一つ文句言わないから、ついね」と、全幅の信頼を置いていた。

山口高志(1975〜1982)大谷超えの剛速球!史上最速170キロの男 野村克也に、「一番速かったのは山口高志」と言わしめた剛速球投手。プロ2年目のときに、初めて導入されたスピードガンで153キロを計測。最新科学の解析では、170キロだったともいわれる伝説の一球を投げた。そんな大投手は、腰のケガに悩まされ、4年目以降は、成績が振るわなかった。170キロを投げるために肉体を酷使したため、短命だった。そんな山口は現在、関西大学野球部でアドバイザースタッフとして、自らの技術を伝えている。

中西太(1952〜1969)“怪童”と呼ばれた伝説の飛ばし屋 初めて“怪童”と称された選手、中西太。高卒1年目で、108安打、ホームラン12本、長打率4割6分4厘の成績で新人王を獲得、特筆すべきは、そのパワー。ショートライナーの弾道が、スタンドに突き刺さったという伝説も。当時、バックネット裏で試合を見ていた記者は、「ショートの胸に飛んだと思ったら、ショートがジャンプしたんです。まさか頭は越えないだろう、そう思っていたら、そのままホームランですから」と驚愕。

大下弘(1946〜1959)酒豪であり努力家まさに破天荒な二刀流 終戦後、再開したプロ野球に彗星のごとく現れた天才打者。投手としても出場経験がある二刀流選手で、54年にMVPを獲得。甘いマスクで女性人気もあったことなど、大谷との共通点も多い。しかし、私生活はめちゃくちゃで、とてつもないエピソードが多数。新人選手が、「さすが、試合前の練習時間も人一倍ですね」とチームメートに質問したところ、「朝まで飲んでて、アルコール抜くために練習しているんだよ」と返答したという。

※( )内の年数は現役選手として活躍した年を示すものです。

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