■“大魔神”佐々木主浩の“宝刀”フォーク
その西山氏が、「最も度肝を抜かれた変化球」と語るのが、“大魔神”佐々木主浩の“宝刀”フォーク。日米野球で初めてマスク越しに見たそれは、誇張ではなく「“野球盤”の消える魔球」だったという。
「途中までは真っすぐと同じ軌道で、ものすごい角度でストンと落ちる。打者が“打てる”とバットを振りだしたときには、もう手遅れって感じの球やったね。出始めの頃の永川勝浩のフォークもすごかったけど、それでも、もう少し手前で落ちると分かったしね」
■今なお語り継がれる伊藤智仁のスライダー
大谷のスプリットに対抗しうるのが“大魔神”のフォークとすれば、もう一つの“宝刀”スイーパーに対するは、「直角に曲がる」と今なお語り継がれる伊藤智仁のスライダーか。
「1年目の93年。4月20日の阪神戦でプロ初先発して、7月4日の巨人戦で故障離脱。スライダーを武器に、4完封を含む7勝を挙げて、126奪三振。防御率0.91。たった3か月弱の活動で新人王にも輝きました。実際、あそこまで曲がるスライダーを投げる投手は大リーグにもいませんね」(元在京スポーツ紙デスク)
ただ、“フォークボールの元祖”杉下茂氏の「あのスライダーを生み出せるのは、人並み外れたヒジの柔らかさのおかげ。しかし、長くは続かない。残念だけどね」との“予言”は的中。
97年には7勝19セーブを挙げてカムバック賞を受賞も、1年目の“無双”スライダーは、そこにはなかった。ただ、前出の西山氏は、伊藤以上のスライダーの使い手がいたとも言う。