■プライベートはヤンチャだった佐々岡真司

「佐々岡真司なんかは体も丈夫で、17勝を挙げた91年あたりは、打者の手元でタテにクッと落ちる独特のスライダーを投げていた。初めて組んだときなんて、達川(光男)さんからも“放っておいても完封しよるよ”と言われて、本当に、その通りになったしね」

 しかし、プライベートはヤンチャだったようで、

「嘘かホントか、オフに遊び呆けて、投げ方を忘れ、伊藤が活躍した2年後の93年には、今度は17敗と負けまくった(笑)」(前同)

■全盛期の江川卓こそ真の“怪物”

 では最後に、投球の基本ストレートはどうか。豪速球と聞けば、西山氏の広島が誇る“炎のストッパー”故津田恒実氏。あるいは“怪物”江川卓らの名が浮かぶ。

「私自身、全盛期の津田さんを直接は知らないんだけど、直球勝負でバースに“クレイジー”と言われたり、原(辰徳)さんの手首を粉砕したなんて逸話は、先輩方からもよく聞いた。かなうなら、その頃の球を、受けてみたかった」(同)

 他方、江川氏の直球は、テレビ番組の企画で「体感速度は大谷よりも速い」ことが、科学的に証明されている。

 その解析に使用されたのが、20勝をマークした81年9月9日の大洋戦、ラストを締めた一球だ。

「江川さんの球は初速と終速の差がほとんどなく、捕手のミットに収まるまでの軌道が、NPB平均より23.4センチも高かったそうです。回転数も、かの大谷や松坂大輔佐々木朗希ら各時代の“怪物”を抑えて堂々のトップでしたから、全盛期の江川さんこそが真の“怪物”と言えるでしょう」(スポーツライター)

 ちなみに、そんな歴代最高と称えられるストレートは、少年時代を過ごした静岡県で培われたもの。天竜川の対岸に向かって繰り返した“石切り”が、その原点という。

「父親に伝馬船の櫓漕ぎを仕込まれた“鉄腕”稲尾和久氏もそうですが、昭和のレジェンドたちには、野球以外で能力を培った選手も数多い。もし彼らが大谷のように現代のメソッドで鍛え上げることができていたら……。そこは野球ファン永遠のロマンですね」(前同)

 大谷を超える“かもしれない”レジェンドたち。オフの醍醐味、野球談義はまだ尽きない。

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