■大久保博元の証言

 試合中の“迷言”では監督時代に、こんな話も。92年7月30日、敵地での阪神戦。証言してくれたのは、西武からの移籍初年度でマスクを被った“デーブ”こと大久保博元氏だ。

「石毛(博史)の連続四球で一打サヨナラという場面で内野陣がマウンドに集まったところへ、ベンチから監督が格好よく小走りでやって来てね。何を言うのかと思ったら、“ここで1点取られたら負けだぞー、分かったなぁ?”とだけ言い残して帰って行った。試合ですか? 結局、押し出しで負けましたよ(苦笑)」

■真っ向勝負が信条

 ちなみに、ふだんは温厚なミスターも、ひとたび試合になれば激情家の一面も。デーブ氏が、その怒りに触れたのが翌93年5月3日。本拠地での広島戦だ。

「事前のミーティングでコーチの山倉(和博)さんらから“監督の言うことは聞かなくていい”と言われていたから、その通りにしていたら、ベンチから監督が何度も僕を呼ぶんです。最初は聞こえないフリをしていたけど、そのうち痺れを切らして“コラァ! こっち向け、アンポンタン!”って。どうも初球をカーブから入ったのが気に入らなかったみたいです」

 マウンドの宮本和知はタテ・ヨコ2種類のカーブを駆使して、カウントを組み立ていく技巧派タイプ。カーブのサインも山倉コーチからの指示だった。

 “江藤(智)には真っすぐだ!”と監督が叫ぶから、その通りに真っすぐを要求したら、見事に逆転3ラン。捕手の僕に聞こえるってことは、当然、打席にも聞こえている。打った江藤本人も“真っすぐで本当にいいんですか?”と笑ってましたよ。ただ、ベンチに戻ったら、監督は“それでいい”と満足げ。さすがだなぁ、と思いましたね」

■ガッツあふれるデーブが大のお気に入り

 気迫のないプレーを、しばしば「スカートをはいて野球をやっている」とも表現したミスターは、ガッツあふれるデーブ氏が大のお気に入りだった。

 翌年9月10日の同じ広島戦。三振を喫した氏が悔しさのあまりバットをヘシ折った際には、怒るどころか「いいぞ!」と肯定してくれたという。

「ベンチ裏で当たり散らしていたら、そこに監督が来て、ひと言。“おーい、ぶーちゃん、いいぞ!”って。逆に、それ以来、モノに当たったりするのは、やらなくはなりましたね」

 そんなミスターは「監督にとってデブはみんな、ぶーちゃん」(デーブ氏)と言うほど、“人の名前を覚えない”ことでもおなじみ。前出のせんだ氏は、ミスターの信頼も厚い自身の後援会長と、その娘さんにまつわる秘話を明かす。

「後援会長の娘さんは、東日本大震災後に生まれたんですが、長嶋さんが“希望の光になってほしい”と“ひかり”と命名したんです。ところが、名づけ親である当の長嶋さんは、その子に会うたび、なぜか“あかりちゃん”と間違えて呼ぶ。しまいには“ひかりとあかり、よく似てますね。誰がつけたんですか?”なんて言いだして、みんなでツッコミましたよ。“いや、長嶋さんですよ!”って」

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