■天才・たけしの元気が出るテレビ!!ダンカンが放送作家デビュー

 85年に始まった『天才・たけしの元気が出るテレビ!!(日本テレビ系)では、ダンカンが放送作家としてデビューもしている。

「たけしさんは初回の収録内容にブチギレて“ダンカン、おまえがくだらないことを考えろ”と、僕を放送作家に入れたんです。

 会議に参加したら、総合演出のテリー伊藤さんは僕が企画を書いた紙にかじりつきながら、“いいねぇ!”と絶賛。最初に採用されたのは『100人いれば怖くない』という企画かな」(ダンカン)

 どんな内容だったのか。

「一般の方が歩いてると、正面から100人のエキストラが走ってくるという内容。予算の関係で30人程になると思ってたら、本当に100人用意されていて感動しましたね」(前同)

◆脚光を浴びた林家ペー

 一つのコーナーで、一つの番組が作れると謳われた企画力で人気番組となったが、もちろん過激な企画も多数。多くの芸人が、「痛み」を引き換えにして脚光を浴びたが、その一人が、林家ペー(82)だった。

「正解すると高級車がもらえるクイズに挑戦も、ペーさんは不正解。罰ゲームとして愛車のフォルクスワーゲンが潰されることになって、クレーンで吊り上げた巨大な岩をボンネット上に落とされてました」(同)

 ダンカンは、この番組でペーから命懸けのダジャレを聞いたという。

◆救急車の中で

「当時、猿がウォークマンを聴いてるCMがあって(87年放送)。そのパロディを撮ろうと、林家ペーさんに、全身に茶色の毛を植える特殊メイクを施したんです。でも、3時間ほど経つとペーさんの顔が真っ青に。皮膚呼吸ができなくて酸欠になったんです」

 猿にふんし、苦しむぺー。

「救急車に乗せると、テリーさんが僕にマイクを渡してきて。僕は咄嗟にマイクを向けて“最後にダジャレを”と声をかけたら、ペーさんは“担架(丹波)哲朗”とつぶやいて意識を失いました。カッコよかった!」(前同)

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