歌番組で芸能界の力学を

 若者に人気だったとんねるずが、広くお茶の間に浸透したのは、歌番組に進出してからだった。

「それまで、芸人は歌手より格下の扱いでした。ところが、彼らは歌番組の常連になり、番組内ルールを破ることで、芸能界のパワーバランスを崩したんです」(芸能ライター)

 最初の大ヒット曲は85年の『雨の西麻布』である。

「ブレーンの秋元康さんは、当時のお硬いNHKが嫌いそうな曲調を避け、あえて演歌調の曲を用意。そして、“紅白を狙います”というセリフを間奏に入れた。これが人気のカラオケソングとなりました」(前同)

 人気歌手なってからも暴走は止まらなかった。

「石橋さんだけでなく、木梨さんもヤバかった。『歌のトップテン』(日本テレビ系)では、撮影スタッフからカメラを強奪して石橋さんの股間を撮影。また、『夜のヒットスタジオ』(フジテレビ系)では、飾ってあった胡蝶蘭の花びらを食べて、司会の芳村真理さんを怒らせました」(同)

 こんな大暴れが許されたのは、圧倒的に人気があったからだ。

恋愛リアリティショーねるとん紅鯨団

「85年開始の『とんねるずのオールナイトニッポン』(ニッポン放送)は聴取率ランキングでダントツ人気。

 番組の最後の決めぜりふは“寝ろ!”。それも放送界ではタブーでした」(同)

 87年開始の『ねるとん紅鯨団』(フジテレビ系)は、誰も見たことのなかった斬新な企画だった。

「一般視聴者による恋愛リアリティショーの嚆矢です。全国で“ねるとんパーティ”と称したお見合いパーティが開催され、番組内では“大どんでん返し”などの流行語も生まれました。彼らは社会風俗すら創ったんです」(同)

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