NHK紅白歌合戦に出場

 念願の紅白出場が実現したのも『情けねえ』がヒットした91 年だった。

「パンツ一丁で、石橋さんが白、木梨さんが赤で全身を塗っていたんです。背中を見せると“受信料を払おう”という文字がありました」(前出の芸能ライター)

 民放育ちの2人による痛烈な皮肉に、ファンは喝采を送った。権威を茶化し続けてきた2人が、分岐点を迎えたのは94年のこと。

事務所を設立し独立

「事務所『アライバル』を設立し、独立したんです。以降、ピンでの活動も目立ち始めました」(前同)

 97年に改題して再スタートした『とんねるずのみなさんのおかげでした』(フジテレビ系)では、おぎやはぎバナナマンカンニング竹山ら東京芸人のトップが、若手の頃と同じように体を張る様子もウケた。

「とんねるずに憧れて芸人になった者たちを招いて一緒にやるというスタイルも、この頃から目立ち始めましたね」(石井)

笑っていいとも!で爆笑問題の太田光に

 00年代以降はさすがにおとなしくなったが、終了間近の『笑っていいとも!』(フジテレビ系)への登場は特に印象強い。

「テレフォンショッキングに出て黒柳徹子さんの最長出演記録(46分)を更新(48分22秒)。その場でタモリさんに直訴して、放送終了までの2か月間のレギュラーにもなりました」(前同)

 そして、伝説は訪れる。

「いいともの最終回では、ダウンタウンの松本さんが“とんねるずが来るとネットが荒れるから”と口走ると、出番の順番を無視して、とんねるずが堂々と舞台に。

 舞台裏では石橋さんが、爆笑問題太田光さんに“太田いくぞ、殴り込みだ!”と声をかけたそう」(芸能ライター)

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