血戦その②最強駆逐艦「雪風」激闘譚
あらゆる地獄の戦場から生還!!旗艦「大和」に「我、異常ナシ」


1945年4月6日、米軍の沖縄本島上陸から5日が経過したこの日、日本海軍のほぼすべての残存艦からなる「水上特攻艦隊」が山口県・徳山沖を出撃した。目的地は沖縄――。

沖縄では、牛島満中将率いる第32軍が熾烈な陸上戦闘を繰り広げており、洋上に展開する米艦艇に対しては、「菊水作戦」の名の下、神風特別攻撃隊が不屈の闘魂を示していた。

戦力の損耗著しい帝国海軍であったが、健在だった最強戦艦「大和」を中心に、軽巡洋艦「矢矧」、駆逐艦「涼月」「冬月」「磯風」「浜風」「雪風」「朝霜」「初霜」「霞」の8隻からなる沖縄支援艦隊を編成した。作戦内容は、米艦隊を蹴散らし沖縄に突入、自艦を座礁させ固定砲台とし、米艦艇を撃ちまくるというものだった。

しかし、航空機の援護がないため、「提灯を提げてひとり暗夜を行くにも等しき劣勢」と称された。米航空機による攻撃により道半ばにして艦隊殲滅のリスクを伴う「特攻」だったわけだ。

事実、結果は惨敗であった。出港翌日の7日正午すぎ、米軍の爆撃、雷撃機の大群が襲来。不沈艦と称された「大和」は、魚雷9本、爆弾3発を浴び、14時半ごろ鹿児島県・坊ノ岬沖約170キロの海域に沈んだ。「大和」沈没と同時に、「作戦中止」の命令が下り、帰投能力を残していた艦は、次々に反転していった。

この日本海軍最後の大規模海戦において、一人、気を吐いたのが、"奇跡の艦"と呼ばれる駆逐艦「雪風」であった。

「雪風」は、41年の初陣以来、ミッドウェー、ガダルカナル、マリアナ、レイテと主要な戦闘に参加。すべての戦闘に生還していた。しかも、艦はほぼ無傷だったというから驚きだ。

「雪風」が不沈艦と化したのは、4代目艦長であった"豪傑"寺内正道中佐の指揮によるところが大きい。柔道の達人にして豪放磊落な性格、90キロを超える巨体ながら、寺内は防空戦闘の達人だったという。「ワシがいる限り『雪風』は沈まん!」と豪語した寺内に将兵は心酔。神業とも言える操舵を見せ、数々の戦場で武勲を挙げてきたのだ。

「航海長の左肩を足で蹴飛ばすと、艦が左に進むという逸話が残っているほどの豪傑だったとか」(前出・神浦氏)

沖縄特攻の際も、傾斜が復旧せず沈没寸前となった「大和」に対し、敵航空機の放った爆弾により身の数倍はあろうかという水柱に囲まれながら、「我、異常ナシ!」と発信してきたのは他でもない「雪風」だった。「作戦中止」の命を受けても、「雪風」艦長の寺内は、いまだ健在な艦をまとめて任務完遂を主張してきたという。終戦まで戦い続けた「雪風」は、台湾に引き渡され、「丹陽」と改称され旗艦として迎えられた。「丹陽」の意味は「赤い太陽」。

台湾海軍が「雪風」の武勲を称え、帝国海軍の旭日旗に艦名をなぞらえたのだろう。太平洋を駆け抜けた最強駆逐艦「雪風」の舵輪と錨は、現在、江田島の旧海軍兵学校・教育参考館の庭に展示されている。

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