血戦その③第1次ソロモン海戦
お家芸の「夜討ち」で大戦果!!米軍が切歯扼腕した絶海の死闘


太平洋戦争開戦後、日本軍はニューカレドニア、フィジー、サモア方面へ進出し、米豪のシーレーン(海上輸送路)を断ち、同地域に航空基地を建設する作戦(FS作戦)を立案した。

しかし、ミッドウェーの惨敗により作戦は頓挫。さらに、米第1海兵師団にガダルカナル島を奪われてしまった。

そこで、ガダルカナルの奪還とFS作戦の再開のために、隠密裏にガダルカナルへ接近、米輸送艦を殲滅し、上陸部隊への補給を絶とうと考えた。

作戦遂行を命じられたのは、三川軍一中将率いる第8艦隊。8月7日にラバウルを出撃し、航路を偽装しながらガダルカナルを目指した三川艦隊は、8日の23時半頃、サボ島に到着、三川中将は全軍突撃の命令を下す。突撃の速力は26ノット。時速換算で約50キロという猛スピードである。

水上偵察機が照明弾を投下するや、敵艦の姿が鮮やかに浮かび上がった。こうなると、夜間戦闘をお家芸とする日本海軍の独壇場だった。

「当時の米軍は、レーダーを備えた船を使っていました。しかし、当時のレーダーは、天候いかんで小さな島と敵の船の区別がつかない代物。対する日本軍は、操舵技術はピカイチで、夜や悪天候での戦いには長けていた」(神浦氏)

重巡洋艦「鳥海」が放った魚雷2発が豪重巡「キャンベラ」に命中、大破したのを契機に、米重巡「シカゴ」、駆逐艦「パターソン」も多数の命中弾を受けて中大破した。

その後、海域を変えて米艦隊との戦闘が再開されたが、ここでもほぼ一方的な打撃を加えることに成功した。結果、敵側は重巡4沈没、1大破、駆逐艦2中破という被害を強いられた。対して日本側の被害は重巡1沈没、1小破という軽微なもの。

ただ、単純に勝利とは喜べない一面も。

「FS作戦は、日本陸海軍の能力の限界を超えたものだった。にもかかわらず、士気、練度の高い日本海軍は、局地戦闘で勝利を重ねていった。第1次ソロモン海戦でも連合軍に多大な損害を与えることに成功した。ただ、この成功は、当初の作戦の目標だった輸送船団の殲滅という点を忘れさせてしまった。輸送船団を撃ち漏らしたことが、のちの苦戦を招いたと言える」(前出・古是氏)

勝って兜の緒を締めよ、である。米軍は、この海戦を「史上最悪の敗北の一つ」と振り返っている。

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