「でも、3分以内にやらないと、すっごく怒られた。“すぐやらないとダメだぁ! 芸を出し惜しみするな。歌いなさい!”って。

 一番喜ばれたのは、ピエール・カルダンさん(注1)。目の前で『愛の賛歌』をフランス語で歌って、大ウケでした。365日宴会で、毎日のように演芸や踊りをやらされてましたね。大物のお客さまばっかりだから度胸がついて、私、舞台で一度もあがったことありません。パパのおかげです。何よりの教育でしたね。二世のタレントさんで、芸もやらないで出てきてる人たちが潰れていくと、ざまーみろと思います。はっきり言わしてもらいます。うちは厳しかった。

 姉の海老名美どりも芸能界の第一線で活躍し、結婚して辞めましたし、弟の林家正蔵は落語協会の副会長。その下の弟の二代目林家三平も『笑点』のセンターですよ。父が背中で厳しく教えていたんですね。

 すっごく羨ましいんですけど、正蔵のほうは小三平だったかな、まだ小学生のときに、大阪万博の太陽の塔の前の広場で、父が一席やったんですよ。5万人の前で“小三平、やんなさい”って“パンツ破けた”“股かい”ってやって、どっかーんてウケて、その笑いをいまだに超えられない。

 三平も、あの子は豆三平だったかなぁ。しょっちゅう高座や営業やパーティに呼ばれて、立派に小噺やって、どっかんウケてた。子どもはウケるんですよ。あいつもいまだに子ども時代を超えられてないです。私だけですよ、超えてるの」

――“三平の才能を最もよく受け継いだ”と評される泰葉だが、父は、その娘を大いにかわいがった。

「小さいときも、忙しい合間に学校の運動会に来てくれるんです。みんな、うわぁーと大騒ぎになって“三平です”って言って、すぐ帰っちゃう。授業参観も紋付き袴で来て、先生のほうの扉から入っちゃって。それで“娘をよろしく”って。みんな、うわぁーっ。また律儀に、来られないときは次の日の朝礼に来たりするんです。全校生徒の前で“昨日は来られなくて、どーもすみませんでした”って。優しい人でした」

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