「錦之助は、連日のように出演者、スタッフ全員を体育館のような広さの豪邸に招き、大盤振る舞いをしていました。それがスターの役割だと考えていたようです。だから、“錦ちゃん”と呼ばれて慕われていた。ただ、当時、奥さんだった女優の有馬稲子は、そんな毎日に疲れきってしまい、そのことが離婚につながったという説もあります」

 錦之助はもちろん、祇園でも巨額の金を使った。典型的な京都撮影所の大スターであった。やがて時代劇が衰退すると、代わって任侠路線が東映の十八番となる。その金看板・鶴田浩二は艶福家として有名だ。「モテたうえに、守備範囲が極端に広かったとか。365日、別の相手とベッドインしていたという伝説があります」(前同)

 それはそれで相当の体力がいりそうだが……。「それでいて、常にセリフを完璧に頭に入れて撮影に挑んでいたというから、さすがです」(同)

 鶴田と並ぶ任侠路線の大スターが高倉健だ。健さんは、酒もタバコも女遊びもやらないというイメージがあるが……。「確かに、ある時期から人前で酒、タバコをやらなくなります。しかし、若い頃は愛煙家だったし、酔って暴れることもあったようです」(元芸能記者)

 では、女遊びはどうか? 「むしろ、大好きだったようです。学生時代は赤線にも通っていたとか」(映画関係者)

 熱愛説が流れた女性は1人や2人ではない。「健さんはプレゼント魔で、共演者やスタッフに、ロレックスの高級腕時計など、高価な品物をポンとプレゼントするそうです。そんなことされたら、男女問わず健さんのことが好きになってしまう」(前出の三角氏)

 そのマメさは、惚れた女性に対しても発揮された。「結婚した江利チエミに始まり、狙った女性に対しては、プレゼント攻勢など積極アプローチがあったとか。女優の児島美ゆき、倍賞千恵子らとの噂が有名ですが、他にも、某大物女優や元アイドルとも恋仲だったという話もある」(前出の元芸能記者)

 あまり下半身について語らない健さんだが、本誌は健さんが“オトナのお店”に潜入した逸話を自ら告白する文献を発見した! 『檀ふみのほろ酔い対談』(87年=潮出版)がソレ。檀ふみの話術にノセられた健さんは、いわゆる男のつきあいで“登楼”することになった経緯を口にしてしまう。

 <僕も嫌いじゃないですから(笑)。ところがその女の子が僕の郷里の出身で、お母さんをよく知ってますって。それでこっちはその気がまったくなくなっちゃってね>

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