■オールスター戦でも本気で抑えにかかって

 長嶋、野村両氏に、大きな影響を受けた原と矢野。彼らの激突が“代理戦争”となる背景には、やはり師匠の長い対立の歴史がある。その始まりは、現役時代にまでさかのぼる。巨人の長嶋、南海の野村。年齢的に同学年でもある2人は、セ・パ両リーグを代表する強豪チームの中心選手として出会った。しかし、その地位を築くまでの道のりは、あまりにも対照的だった。

「六大学野球の人気者だったミスターは、争奪戦の末に巨人入団。契約金は当時の最高額でした。そして1年目からレギュラーをつかみ、本塁打と打点の二冠を獲得。新人王にも輝いて一躍、球界のスーパースターとなったんです」(当時を知る元記者)

 片や野村氏は、大学卒の長嶋氏より4年早くプロ入り。ただし、プルペンキャッチャーでのテスト入団だった。「ブルペン捕手は通称“カベ”。投手の練習台でしかなく、いつクビを切られてもおかしくない立場です。しかしノムさんは、そこから猛練習に猛練習を重ね、3年目で1軍の正捕手の座を勝ち取った。まさに、努力の人なんです」(前同)

 そんな野村氏は、巨人、そして長嶋氏のことを常に意識していた。「当時のプロ野球は、巨人戦のあるセ・リーグの人気が圧倒的。パ・リーグの選手にしてみれば、“実力じゃオレたちが上”という自負があった。本来、お祭りであるオールスターゲームでも、パの選手たちは絶対に負けたくないと、みんな目の色を変えてプレーしていたほど。その筆頭がノムさんだった」(同)

 実際、野村氏はオールスター戦でも長嶋氏を本気で抑えにかかった。ときには、セの投手陣に弱点を聞いて回っていたという。それでも、この天才打者は抑え切れなかったようだ。

「最近も、ノムさんは“最後まで長嶋の攻め方は分からなかったよ”とボヤいていました。お得意の囁き戦術も、まったく通用しなかったそうです。“最近、銀座行ってる?”と話しかけても、ミスターは“このピッチャーはどう?”なんて返してきて、会話が成立しなかったのだとか(笑)」(前出のデスク)

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