■神田正輝と結婚、妊娠

 こうして、聖子・明菜の2強時代が到来。だが、2人のアイドルとしての方向性は、まったく違った。「聖子は巧妙でした。女性ファンを意識した曲を歌いながら、写真集を出したり、映画で濃厚なキスシーンを演じたり、男性ファンの下半身も刺激していた」(芸能誌編集者)

 また、ラジオでは、もっと踏み込んでいた。 「自分のバストトップの色が桜色だと発言したり、海外で艶系映画を観たという告白までしているんです」(前同)

 一方、明菜は当初は水着姿も披露したが、次第に肌の露出は減っていく。女優業にも乗り出さず、歌に専念。それが彼女らしかった。

 2大アイドルのデッドヒートは、2年半ほどで一時休戦となる。聖子が次のステージに進むからだ。郷ひろみとは破局するが、それから、わずか3か月後に、石原軍団の一員である二枚目俳優・神田正輝(68)と婚約するのだ。85年6月、“聖輝の結婚”はテレビで放送され、高視聴率を記録した。「当時は裕次郎が存命中で、神田のブランド価値は高かった。この時期から、彼女は私生活をプロモーションに結びつけていきます」(芸能プロ関係者)

 さらに聖子は仕事が早い。すぐに妊娠し、しばしの休養期間に入っている。

 ライバルが不在の間、明菜は独走体制に。85年に『ミ・アモーレ』で、86年は『DESIRE-情熱-』で、日本レコード大賞を連続受賞。頂点に君臨した。だが、そんな彼女も恋をしていた。相手はジャニーズ事務所所属の近藤真彦(54)。トップアイドル同士の恋愛は双方のファンをヤキモキさせたが、一方で、これをビジネスにしようと企む大人たちもいた。映画『愛・旅立ち』(85年)で2人が共演したのだ。 「明るい青春映画ではなく、丹波哲郎が出演する超常現象映画。今はカルト映画扱いです」(映画関係者)

 聖子は、86年に神田沙也加(32)を出産して復帰。翌年の第1弾シングル『Strawberry Time』がオリコン1位を獲得し、“ママドル”と呼ばれる。さらには、事業家としてブティック「フローレス・セイコ」も成功。すべてを手に入れた感があった。

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