ビートたけし(北野武)
ビートたけし(北野武)

 お笑いBIG3に、国民的ヒーロー、永遠の清純派女優まで。本誌誌面を飾った大物たちの超絶名場面を今、振り返る!

 1986年(昭和61年)12月、衝撃的なニュースが飛び込んできた。タレントのビートたけし(当時39歳)が、たけし軍団メンバーを引き連れて講談社の写真週刊誌『フライデー』編集部を襲撃。住居侵入、器物損壊、暴行の容疑で逮捕されたのだ。「フライデーの記者が、たけしさんの愛人といわれた女性を執拗に追いかけ、ケガを負わせるなどしたことに対する報復としての行動でした。結局、たけしさんは懲役6月・執行猶予2年の有罪判決を受けることになります」(芸能記者)

 事件後、たけしの姿はテレビから消えた。「そのことで逆に、たけしさんの存在の大きさが際立つことになりました。いわば、“たけしロス現象”が起きたんです」(前同)

 事件から約7か月。本誌は87年7月27日号で、謹慎中のたけしの密着取材に成功。それは、世間が求めていた独占スクープだった。謹慎生活を、たけしはジョークを交えて語った。「最初のうちはゴルフばっかり。(中略)ゴルフが仕事みてェなの。とうとう“休ませてください”って言っちゃったよ」

 また、こんな発言も。「俺がどこかの島に行こうと思ったら、運転手とかマネージャーとか4〜5人いなきゃいけないじゃない。何かあったら困るから。だから、ゴルフをやるにも5人分かかるんだよ。(中略)それが7か月だもん。何億使ったか分かんねえヨ。収入ゼロだから、差し引き十億ぐらい使ったね」

 あまりに桁違いな、“不謹慎生活”を送っていた殿なのである。ただし、遊んでばかりいたわけではない。中学生の学習ドリルに取り組んで、脳トレを続けていたという。「考える練習してかないと。復帰してからボケたっていわれるのイヤじゃない」

 やがてテレビ復帰したたけしは、2年後に映画監督デビュー。しばらくして、“世界のキタノ”と呼ばれるまでになる。

 一方、たけしと並ぶお笑い界の超大物・タモリも本誌に登場している。80年6月12日号でのことだ。「まだ、『笑っていいとも!』(フジテレビ系)が始まる前。タモリさんは、すでに有名タレントでしたが、大御所の扱いではなかったんです」(芸能プロ関係者)

■タモリ「総理大臣になれないのなら出馬しない」

 そんな時代だからこそありえた、意外な企画に顔を出していた。時の内閣総理大臣・大平正芳は、衆議院解散を決定。急遽、もともと予定されていた参院選とのW選挙が行われることになる。このとき、ウソかマコトか、漫画家の赤塚不二夫に衆院選出馬の噂が流れたのだ。そこで、本誌が噂の真偽を問うべく直撃取材。そこに、赤塚センセイを慕うタモリも同席したのだった。センセイは当初、出馬を否定しなかったが……。「でも、選挙中は公選法とかなんとかで、漫画を描けないんでしょ。漫画が描けないのは寂しいなあ」

 必ずしも積極的ではない。かたやタモリは、なんと自らも立候補を匂わせた。「ヒヒヒ、(立候補を)するよ。だけど、オレはせこいから金は使わないよ」

 だが、“選挙に勝つには金がものをいう”という話になり、最後には――。「漫画家が選挙に出たら、ホントの漫画」(赤塚)「総理大臣になれないのなら出馬しない」(タモリ) 結局、2人が出馬することはなかった。

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